ショット・シンク|SCHOTT Sync

Marginal Notes *3

スティーヴ_ライク・カウンターポイント

テクスト|松村正人

April 28, 2014

ライヒの作品は宗教的、時事的な背景を思わせるのに音楽のあの飾らなさはなんであろうか。

初期のテープ音楽、いわゆる漸次的位相変移(Gradual Phase Shifting)プロセスをもちいた《イッツ・ゴナ・レイン》で彼がそこで使っているのはノアの洪水のくだりを説くサンフランシスコ街頭での若い牧師の説教だが、作品の材料(といういい方がただしいかはわからないけれども)がいつ誰がどのような情況で発した声なのかということと作品そのものは関係ない……わけでもないだろうが、私たちはそれを前提に寸断、変調、ループされる音に耳を傾けるうちに人声は付帯情報を捨て去るばかりか声であることすら止め音そのものになるのを見いだす。

私はこのたびの原稿をおおせつかるにあたり、ひさかたぶりにライヒを頭から聴き直し、原稿が載るのもちょっとカタそうなところだし、ライヒの来し方をふりかえりつつあたりさわりないことを書くのがよいのではないかと思ったのですが止めた。

なんとなれば、《イッツ・ゴナ・レイン》を聴き、前回ここに執筆された菊地成孔さんの復活したDCPRGの『Second Report From Iron Mountain USA』(2012年)の終曲、アミリ・バラカことリロイ・ジョーンズの演説音源をカットアップ〜スクラッチしながらマイルスの曲に接合した《Duran》に《イッツ・ゴナ・レイン》とよく似た、音を変調させると同時にその意味と記号の位相までも変移させる録音物にまつわりつく原初的な欲望を感じたからである。

もちろんDCPRGのそのアルバムはヒップホップがテーマだったから《Duran》もまたサンプリングやスクラッチといったヒップホップの方法をデフォルメすることに主眼を置いているはずだが、菊地さんはつづく2013年のジャズ・ドミュニスターズの『ドミュニストの誕生』の《Agitation》では、私とのインタヴューでこの曲のトラックをライヒの《ピアノ・フェイズ》のシミュレーションだと言明していて、ことほどさようにライヒの方法論は現在の音楽のあらゆる場面で形を変え流通しており、それはたとえば(かつて)ミニマリストと呼ばれたなかでも、ラ・モンテ・ヤングほど核心は神秘のベールに覆われてもいないし、(無時間性ゆえに)長大で全貌を捉えられないわけでもない。

あるいはライリー。彼の1964年1月に書かれたミニマル・ミュージックを代表する《イン・C》においてライヒの示唆が重要な役割を担ったのはよく知られているが、ライリーがジャズやインド音楽の即興を作曲に内在させるのともライヒの方法論はちがう。フィリップ・グラスとライヒにはともに現在にいたるまで旺盛な活動をつづけているところに類似点があるとしてもグラスのグリッド化したリズムはライヒのそれとはやはりちがう。カンとノイ! くらいちがう。あるいはクラフトワークとライバッハほどにはちがう。

というと逆にわかりにくいかもしれないが、いずれにせよ、グリッドという意味ではよりダンスミュージックに親和性の高いはずのグラスではなくなぜライヒの『リミックス』作(1999年)が先行したのか(小山田圭吾や元バトルズのタイヨンダイ・ブラクストンらが参加したグラスのリミックスは2012年リリース)、そこにライヒに比してグラスの作品の空間の少なさ、余白のなさが浮き彫りになっていると考えるのは私だけだろうか。

前述のとおりライヒのリミックスは15年も前のものだ。コールドカット、ハウィー・B、マントロニクといったラインナップも郷愁を誘う。この時期は90年代初頭からの過去音源のリイシューとダンス・カルチャーの一般化があいまって(ポストロック〜音響といった音楽の原理に降りたリスニング・スタイルをもとにした音楽分野の擡頭も無縁ではないがそれはまた別の話である)リミックスの対象もダンスミュージックの外へ広がっていった。

同じ年にはマイルス・デイヴィスのリミックスもあった。ビル・ラズウェルの手になるものである。リミックスはリミキサーにとってたぶんに受注仕事だが、マイルスやライヒ級ともなるとリスペクトは欠かせない(エイフェックス・ツインのリミックス集『26 Mixes For Cash』はこの関係性を彼らしい韜晦でうまくいいあらわしている)。

私はこの「リスペクト」なる文言を十数年ぶりに書いた気がするが、それはともかく、ライヒ・リミックスの参加者にライヒからの影響があるのはまちがいない。たとえば竹村延和の《プロヴァーブ》リミックスは、12〜13世紀フランスの作曲家、ペロタンあるいはペロティヌスに想を得たポリフォニックな原曲の声部のひとつを軸に、原曲を解釈の鋳型に嵌めこむのではなく、発展させた好ミックスで、いまでも古びないし、彼の音楽のカギにあたる無垢さと清澄な響きを彼はライヒの音楽から導いてもいる。

それは竹村延和の今年出た、じつに11年ぶりの新作にあたる『Zeitraum』にも変わることなく横たわっているものである。竹村延和は「期間」を意味するドイツ語を表題したこのアルバムで、種々の音の断片そのものを選りすぐり構成するその手つきはミュジーク・コンクレートさながらだが、具体音というそれ自体テクノロジカルな意味をもたざるをえない音や言葉ひとつひとつを自律的に、あるいは互いに関係させることで作品のテーマである「時間」に文明批評的なニュアンスをもたせてもいるがしかしそもそも時間とはなにか。

これはいうまでもなく哲学の命題である。と同時にこの命題は音楽的である、といってもいい。

音楽は時間芸術だとよくいわれる。音楽はあらわれることではじめて音楽たりえ、奏でられるなかにしか存在せず、終わるとたちまち空気に消える。そのようなことをエリック・ドルフィーがいった[]とき、彼は即興の一回性、反復不可能性が念頭にあっただろうが、ミニマル・ミュージックは時間の進行と滞留とを目に見えるというより耳に聞こえるかたちに置き直すことであらわにした。

たとえば《18人の音楽家のための音楽》の冒頭のパルス、周期的なリズムは空間を刻み時間を提示する。ライヒの代表曲のひとつであるこの曲は古典的な意味でのドラマをもたないが、ライヒの特徴であるアーチ型の構造、つまり対称性は音楽を線状にとらえたときのダイナミズムであると同時に、原点から同じ距離をとった円周上を推移するような回帰する時間を思わせもする。というとラ・モンテやライリーと同じものの別の相ということになってしまいそうだが彼らミニマリストたちが小編成のアンサンブルからはじまり大きな(長大な)作品を書くようになる道行きは不思議に重なり合う。

本稿はライヒのバイオグラフィを追うものではないので作品を詳述することはしないが、76年に完成した《18人》の成功をもって、ライヒは転換期を迎えた。公私にわたる転換だった。

ライヒは《18人》にとりかかった74年、のちに《ザ・ケイヴ》の共同作業者となるパートナー、ベリル・コロットと出会った。彼女との出会いは《18人》を契機にライヒの作品が大編成化するのと期を同じくして作曲家が自身の出自を意識したユダヤ教へ回帰するきっかけにもなった。

81年ドイツで初演した《テヒリーム》は「詩篇」を意味するヘブライ語でテキストも旧約聖書の詩篇を元に声に和声とリズムをつけたとてもシンプルな構成で、ワールドミュージックを彷彿させるが、それは東欧とも中東ともアフリカ的ともいいきれない奇妙に浮遊したローカリティを感じさせるものでもある。

それこそが喪失ないしディアスポラの表現なのだといったらさすがに穿ちすぎかもしれないが、絶対音楽の機能性から標題音楽的な文言を冠した楽曲(「標題音楽」ではなく「標題音楽的…楽曲」としたのは、ライヒの言葉はあくまで指示であり誘導ではないからだ)への移行に、ユダヤ性がはたした役割はすくなくない。

《砂漠の音楽》(84年)しかり、《ディファレント・トレインズ》(88年)、《ザ・ケイヴ》(93年)はもちろん、前述の《プロヴァーブ》(95年)にも2006年の《ダニエル・ヴァリエーションズ》にも響き、911をテーマにした《WTC 9/11》にも影を落としていると思えなくもない。

ニューヨークに生まれ育ったユダヤ系の合衆国の国民として。

《WTC 9/11》が完成したのは2011年、同時多発テロから10年目の節目をニューヨーカーであるスティーヴ・ライヒはポーランドで迎えていた。音楽祭「Sacrum Profanum」に出演するためにポーランド第三の都市、クラクフにいたのである。

私は不勉強ながらこのフェスティバルを存じあげなかったが現代音楽から先鋭的なエレクトロニック・ミュージックまで集めた祭典で、2011年はライヒのほかにエイフェックス・ツイン、ライヒと縁の深いアンサンブル・モデルン、ライヒもAFXをも俎上に乗せた経験のある現代音楽アンサンブル、アラーム・ウィル・サウンドなどが参加したようである。

ポーランドは第二次大戦の端緒となり、ホロコーストの舞台のひとつともなった。クラクフにはゲットーがあり、オスカー・シンドラーが経営する工場でゲットーの住民を雇っていたのは映画『シンドラーのリスト』の題材にもなったよく知られた事実だ。

その北には首都ワルシャワがあり、その近郊の町に生まれ反ユダヤ主義をのがれアメリカに渡ったアイザック・バシェヴィス・シンガーは東欧ユダヤ人の伝統と信仰と逡巡と救済とをイディッシュ語で風刺的に描く作家だったが、小島信夫は『寓話』でシンガーを作中に登場させ、こう語らせている。

 私の書くものは、ほとんどみんなイディッシュ語で話す私らの仲間の連中のことばかりです。私は彼らのことは、何から何までよく分るような気がするのです。[略]私どもは、小説のなかにいなくとも、小説のなかにいるようなものなのです。といって、アメリカ人や日本人も、ある意味ではそうでしょう。しかし私どもの仲間は、アメリカにいても、いやアメリカに来ていると、いっそうそうなのかもしれないけど — 私どもとは違うようです。私どもの仲間は小説のなかの人物のように街や部屋の中に生きているというよりも、童話の中の人物のように生きているし、そういうふうになって行くのを望むし、そうならぬときも、そういう夢を見るようです。これは私どもの歴史に対する対応から来たかもしれないが、そういうことは、私にどうでもよいことのようです。(『寓話』28)

彼の地のもつ記憶がライヒにとってどれほどの意味があったのか定かではないが象徴をみいださなかったわけはない。その日はまさにライヒがそれまで音楽として記述した「歴史」が二重写しになっていた。

だけではない。さらに歴史を進める出会いもあった、とかいうと扇情的なロック雑誌みたいだが。レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドがライヒの《エレクトリック・カウンターポイント》を同じ舞台にかけたのである。《エレクトリック・カウンターポイント》はパット・メセニーの演奏で知られる〈カウンターポイント〉シリーズのエレクトリック・ギター・ヴァージョンだが繊細なタッチのメセニーに比してグリーンウッド版にはロック的に増幅された濁りと揺らぎがある。この出会いを機にライヒはレディオヘッドに関心をもち、『Kid A』の《Everything In Its Right Place》と『In Rainbows』の《Jigsaw Falling Into Place》をもとに最新作《レディオ・リライト》を書きあげた。



《レディオ・リライト》はライヒのそれまでのアーチ構造ともちがう、緩/急が相互にあらわれる五つのパートからなりたち、扇形の編成の要の位置するエレクトリック・ベースがリズムを強く打ち出しながら章ごとの差異化をはかる。これぞライヒ流のロックの解釈といってもいいかもしれないが、録音物でもコンサートでも作品の全貌に接していない私としては即断を避けるほかない。しかしながらレディオヘッドという90〜00年代のロックの代名詞をものみこむ音楽家スティーヴ・ライヒの衰えない胃袋にはおそれいるばかりだ。

ライヒにはすべてが音楽の対位法(カウンターポイント)であり、シンガー(あるいは小島信夫)の小説がそうであるように、宗教であれ時事であれ歴史であれ、あらゆる領域をまきこみながらしかしそれらすべてを作品のなかにとりこむのである。(了)



:原典は「When you hear music, after it’s over, it’s gone, in the air, you can never capture it again.」。ドルフィーのアルバム『Last Date』所収の最後の曲である《Miss Ann》演奏終了後、拍手とドラムの音に続けて、この言葉がドルフィー自身によって吹き込まれている。

松村正人(まつむら・まさと)
1972年、奄美生まれ。編集者、批評家。1999年から雑誌「STUDIO VOICE」で音楽関連記事を担当。2007〜2008年に雑誌「Tokion」編集長を、2009年から休刊した同年9月号まで「STUDIO VOICE」編集長をつとめた。現在、紙版『ele-king』の編集長。共著に『ゼロ年代の音楽』シリーズ、編著に『捧げる 灰野敬二の世界』『山口冨士夫 天国のひまつぶし』。ロックバンド、湯浅湾のベーシスト。



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