ショット・シンク|SCHOTT Sync

Marginal Notes *2

ストラヴィンスキー『118の質問に答える』

テクスト|菊地成孔

January 31, 2014

 20世紀というのはセンセイションとスキャンダルの世紀で、それはちょうど、地球上の人類の数や都市の数が、センセイションやスキャンダルといった現象に対して、最適格量だったし、文化状況、特にメディアのあり方が最適格質だったからで、それがやがてゴシップの世紀になって、現在ではゴシップすら衰退しており、結構な大物が結構な大物とSNSでケンカをして、一夜を待たずに衆人環視のもとで手打ちになったりしているのはご存知の通りで、現在、センセイショナルだったりスキャンダラスだったりする事の価値は、狸の木の葉とまでは言わないまでも、偽金程度にはなってしまっています。

89年と、有名作曲家としては長寿のグループに属し、19世紀末のロシアに生まれ、典型的なイグザイラーとして、一次大戦きっかけ10年代後半にスイス、ロシア革命きっかけで20年代にはフランス、二次大戦&妻と母親を失うきっかけで40年代にはアメリカに亡命、ハリウッドに住み、最後はニューヨーカーとして亡くなり、ヴェネツィアに埋葬されるストラヴィンスキーですが、この「一番良い時期に、一番良いきっかけで、一番良い場所に移動する」という運動性だけでも既に自伝が面白そう(新旧3冊の和訳があります)な所に持って来て、実際の音楽活動を始め、あらゆる交友録やエピソード群の途方も無い質量は、「ストラヴィンスキーに面白くない年ってあったの?」という程で、ジャズミュージシャンだとマイルス・デイヴィスが似ていますが(マイルスは65年の人生なので、量的な迫力に欠けますが)、書物なら兎も角、もし2時間の伝記映画を作れと言われたら、絶対に企画がまとまらないタイプです。

『Coco Chanel & Igor Stravinsky』(邦題は『シャネルとストラヴィンスキー』という、仕方がないがちょっとトホホな物)は、そうしたストラヴィンスキーの「偉人伝としてのまとめ辛さ」を逆転的に突破した(「《春の祭典》初演」という一番有名なスキャンダルと、「あのココ・シャネルとつきあっていた」という一番無名なスキャンダルの2ネタに絞り切り)作品です(因みに、ドン・チードルによる「マイルス伝記映画」の制作は発表から約5年を経てペンディングのままです。恐らく既に頓挫しています。再び恐らく、資金繰りとかではなく、脚本がまとまらない事によって)。

しかしやはり、20世紀の偉人としてのストラヴィンスキーが飛び抜けていたのは、そもそも実質上のデビュー3作目である《春の祭典》が既にブレイクスルー(13年)となり、音楽村の価値観範囲や質量を大きく超えた「〈前衛〉のあり方」のモデルケースであると同時に、ここまで書いて来た「(20世紀という時代の剰余価値の最強度としての)センセイションとスキャンダル」のモデルケースとして成立してしまった。という点、更には、そのまま非常に芳醇な長寿を生きた。という事だと思います。


©Boosey & Hawkes / Gene Fenn
カメレオンと揶揄される程に作曲の様式と分野を多岐にわたらせ(長寿でエッジ志向だったら、誰だってそうなるでしょうから、揶揄は低俗な評価だと思いますが)、最晩年はある種のポリ性(折衷ではなく、多様性の並列)を標榜し、音楽的には「和声の時代は終わった。可能性はポリリズムにある」という晩年に至るまで繰り返された指摘、そして芳醇なエピソードの中には、かのチャーリー・パーカーまで登場しますし(ストラヴィンスキーはパーカーの伝記映画『バード』に一瞬登場します)、ご存知「武満徹のフックアップ」までも含まれていますので、今回のように「何でも良いので菊地さんなりのストラヴィンスキー観を」といったオファーが来るのは、まあ、そんなにムチャクチャな話ではないな、とは思うのですが、ワタシのストラヴィンスキー観は何と言うか非常に微妙で、一応くまなく作品は聴いていますが、音楽として本当に感動するのは《春の祭典》と《結婚》だけですし(どちらもこれは、最初の時代である「原始主義」時代のバレエ音楽です)、総譜もいくつか持っていますが、それを遥かに上回る「ポートレイトがカッコいい人(ハンサムという意味ではありません。とにかくあらゆるシュチュエーションの写真が、どれもとてつもなくカッコ良い人ですね)」でもあり、だかといって「他はダメだね。作品よりも伝記やポートレイトが面白い人だ」とは露とも思いません(そういうタイプの20世紀人は山ほどいます)。ちゃんとどれも真摯にきちんとやっていて、オレの好み。という枠さえ外せば外れはないんじゃないか?という程の量産&ヘルシーなハイクオリティの人でもあります。

なのでここでは、あらゆるクオンティティが怪物的なストラヴィンスキーというアーカイヴの中でも、唯一コンテンツがスマートな「書籍」(和訳は6冊しかありません)、その中でも、復刊を臨む声が最も高い、一種のレア本(かつ内容もしっかり)として『118の質問に答える』という本をご紹介します。

ワタシは古書マニアでも無いし、検索上手でもないし、そもそもネットで物を買いませんので、これを入手したのはほんの偶然で、選曲助手をしてくれている中村君という青年がふらっと入った古書店で見つけて買って来てくれただけなのですが、他の「ストラヴィンスキー本」と比べた時に、書物としての魅力が抜群です。

56年に生誕75周年記念に行われたインタビューが59年に書籍としてまとめられ、日本語版は60年に刊行されますが、先ず第一には、タイトルの秀逸さでしょう。

原書のタイトルは『Conversations with Igor Stravinsky』(ストラヴィンスキーとの対話)という詰まらないもので、これがよく同著者(ロバート・クラフト。非常に大雑把に言って、ストラヴィンスキーの晩年の友人で音楽家です。ストラヴィンスキー来日の際にも同行しています)の『友情の日々』と間違われる。という小事故を起こすのですが、そもそも『118の質問に答える』というタイトルは、(ワタシが調査した限り。としますが)訳者である吉田秀和のオリジナルで、これは大変なセンスだと思います。

 実際に質問が118問なのかはしんどくて数えられていないのですが(笑)、ページ数を見るとこれが実に微妙。訳者あとがきを除く本文全体が188頁で、「ううう。。。」と思うばかりです。

吉田秀和に関しては何方もご存知でしょう。98歳と、ストラヴィンスキーよりも10年長く生き、亡くなったのは一昨年です。日本橋生まれという生粋の江戸っ子、4カ国語を話し、音楽、文芸、美術を評し、随筆家でも翻訳家でもあった相撲ファン。晩年は鎌倉、という大変な粋人にして、リゴリスティックかつ庶民派の顔も持つ、昭和から平成にかけて活躍した文人です。

その吉田44歳という脂の乗り切った時期の訳は、インタビュー集という内容に沿うという意図いくばくなりしか、固い翻訳調(遺憾ながら実に〜である。等々)と、江戸弁(だから〜しちゃうんだなあ。等々)がやや乱暴に混じった、まるでストラヴィンスキーが噺家演ずる裏のご隠居であるかのように感じられる瞬間がスパイスになっている、大変楽しいもので、書評の本道なら、ここでいくつかのパンチラインを引用すべきでしょうが、全頁がパンチラインであるかのような本なので、敢えて出し惜しみ、コンテンツを一覧します。


  1. 1. 作曲や作曲法について
    • セリー
    • 技術 *)
    • 楽器編成法
    • ジェスアルド **)
    • 翻訳について ***)

  1. 2. 音楽家について、その他
    • 聖ペテルブルグ
    • ディアギレフ
    • ドビッシー
    • ジャック・リヴィエール
    • ラヴェル
    • サティー
    • シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン
    • ディラン・トマス

  1. 3. 私の生涯と時代、ほかの芸術について
    • ロシア・バレーの画家たち ****)

  1. 4. 今日の音楽について
    • 和声、旋律、リズム
    • 電子音楽
    • 現代の音楽と一般公衆
    • ジャズ
    • 音楽の演奏
    • 音楽と教会
    • わかい世代
    • 音楽の将来
    • わかい作曲家への忠告

*)演奏家の技術について
**)唯一古楽を編曲した。その作品について
***)オペラの歌詞が各国語に翻訳される事に関する考察
****)初期のバレエ作品の舞台装置全般について

と、自伝要約からレジェンダリーな交友録からエッジまで、網羅的でありながらコンパクトで読みやすく、何せストラヴィンスキーが、コメンテーター/思索家としても超一流である事、その問題意識と美意識が、刊行後50余年を経てもまったく(本当に全く。特にリズムに関する考察)色あせていない事が鮮やかに伝わる快著であり、ゴリゴリのクラシックマニアから現在の音楽を制作するオールジャンル総ての音楽家まで、インタビュー本の蒐集家から単なる本好きまで、全方位的に収穫があると思われます。

この快著が快著となりえた要因のひとつが、吉田オリジナルのタイトルである事は言うまでもありません。「センセイションとスキャンダルの世紀」は「コピーライティングの世紀」でもあり、ここが拮抗しています。この事に吉田が意識的だったかどうか、あとがきを読んでも吉田の他著を読んでも解らない所もフレッシュ感ですね。

通常、75歳でこれやっちゃうと数年の内に亡くなる。というケースが多い訳ですが、ストラヴィンスキーはその後15年生きて亡くなります(因みにザ・ビートルズの実質的な解散年です)。つまり、この本の段階で全くボケていないどころか、キレッキレのお爺さんなのですね(ジャズに関する記述は、ジャズミュージシャン/研究家としては「イゴール!うおっとっとっと」というスリルを感じずにいられないのですが、とはいえ非常に示唆的なスリルで、若さを感じます)。古書店やネット空間で見かけたら迷わずご購入ください。怪物的な質量によって、実のところ今ひとつ正体がリアルでない巨人のリアルが非常に綺麗にパッケージされています。「118」の正しい由来をご存知の方はメール等でご教示くださると幸いです。



菊地成孔(きくち・なるよし)
音楽家/文筆家/音楽講師

ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われる程の驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。2010年、世界で初めて10年間分の全仕事をUSBメモリに収録した、音楽家としての全集「闘争のエチカ」を発表し、2011年には邦人としては初のインパルスレーベルとの契約を結び、DCPRG名義で「Alter War In Tokyo」をリリース。主著はエッセイ集「スペインの宇宙食」(小学館)マイルス・デイヴィスの研究書「M/D〜マイルス・デューイ・デイヴィス3世研究(河出新書/大谷能生と共著)」等。最新刊は「時事ネタ嫌い」(イーストプレス)最新アルバムはJAZZ DOMMUNISTERS「BIRTH OF DOMMUNIST〜ドミュニストの誕生」(ビュロー菊地)
www.kikuchinaruyoshi.net



和訳されているストラヴィンスキーの著作


私の人生の年代記 ストラヴィンスキー自伝私の人生の年代記 ストラヴィンスキー自伝
Chroniques de ma vie
笠羽映子訳
未來社/2013年


音楽の詩学音楽の詩学
Poétique musicale
笠羽映子訳
未來社/2012年


ストラヴィンスキー自伝:付・その生涯と作品 *)
Chroniques de ma vie
塚谷晃弘訳
カワイ楽譜/1972年
全音楽譜出版社/1981年


音楽とは何か *)
Confidences sur la musique
佐藤浩訳
ダヴィッド社/1955年


118の質問に答える *)
Conversations with Igor Stravinsky
ロバート・クラフト編/吉田秀和訳
音楽之友社/1960年


ストラヴインスキイ自傳 *)
Chroniques de ma vie
大田黒元雄訳
第一書房/1936年


*)=入手困難






JAZZ DOMMUNISTERS

ミュジコフィリア

JAZZ DOMMUNISTERS(ジャズ・ドミュニスターズ)は2010年に結成された菊地成孔と大谷能生によるHIP HOPクルー。

一般的には「憂鬱と官能を教えた学校」「東京大学のアルバートアイラー」「M/D」「アフロ・ディズニー」等々、コンビの大学講師/共著者として、或は伝説のラジオ番組「水曜WANTED」、伝説の音楽教養番組「憂鬱と官能を教えた学校TV」のバイ・パースナリティとして等々、ジャズミュージシャン/ジャズ批評家のコンビとして認知されている2人だが、菊地はHIP HOPの黎明期から、大谷はさんぴんキャンプに代表されるジャパニーズミドルスクールからの熱狂的なHIP HOPマニアで、「HIP HOPはFUNKという父親をアンチエディプスで捉えているJAZZの孫」という自説に従い、両者の隔世遺伝的な類似性の研究と実践を続けて来た。 11年にリリースされた大谷の、ハードコアなJAZZY HIP HOP作品「JAZZ ABSTRUCTIONS」(BLACK SMORKERS)、菊地率いるDCPRGが12年にリリースした、SIMI LABとのコラボ、そして大谷とヴォーカロイドをfeatラッパーとした「SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA」の2作はその結実と言えるが、テストランが行われたのは2010年からで、菊地がオーガナイズするパーティー「HOT HOUSE」でのコメディアン兼MCとして、アコースティックジャズの4ビートに乗せてラッパースタイルでパーティーを進行する際、既に「JAZZ DOMMUNISTERS」という名称は用いられている(結成年とする所以)。

その後、数々のテストランを経た後、満を持して2013年、ファースト・アルバム「BIRTH OF DOMMUNIST(ドミュニストの誕生)」をビュロー菊地レーベルからリリース。

名称の由来は、宇川直宏による「最終メディア」DOMMUNEで2008年から現在までの継続中のレギュラー番組「JAZZ DOMMUNE」(2012年に書籍化)から。この番組で2人が行って来た超モダンアートなパフォーマンスをHIP HOPのマナーに流し込んだものがJAZZ DOMMUNISTERSである。ジャズミュージシャンのラッパー転向が散見される昨今、41歳と50歳の、既に知名度の高いジャズミュージシャンがコンビでラッパーデビューするというのは世界でも異例を見ない。