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ディーター・シュネーベル逝去

2018年 6月 1日付


「勝者はどこにもいない、芸術においてさえも。」これが、ディーター・シュネーベルがジョン・ケージらとともに共有し、その生涯に渡って持ち続けた信条でした。芸術と世界、音楽と日々の生活 ― バーデンのラールに生まれたこの作曲家、牧師、音楽学者、教師にとって、これらの間に隔たりはありませんでした。彼は《Ki-No》《visible music》《anschläge – ausschläge》などの作曲で、空間と時間の境界を越えた、作曲家を作品の完成者ではなく創造的なきっかけとみなす、新しい開かれたコンセプトを創出しました。シュネーベルは、パフォーマンスを真に民主的な出来事として理解していたので、コンサートホールのなかに路上の騒音を持ち込みました。声のための《Ekstasis》、あるいはオペラ《Majakowskis Tod – Totentanz》といった主要な作品は、彼がいかなる審美的な独断主義をも否定したことを示しています。2018年5月20日ベルリンで、ディーター・シュネーベルは88年の生涯を終えました。

1960年代、「コンセプト・アート」や「フルクサス」という用語によってぼんやりとしか記述されなかった彼の初期作品のパフォーマンスは、常にスキャンダルに溢れていました。シュネーベルが音楽を、実験的な、あるいは典型的な状況における殆ど予期できない身振りとして解釈していくことで、パフォーマーはより一層自分自身を「作品」から解放していきました。パフォーマーはもはや、自己完結する作品のしもべとしては機能しなくなりましたが、音楽が生み出されるその瞬間こそが実際の作品内容となったのです。「音符あるいは他の音響的要素が音楽の素材となるのではなく、それらが生み出される過程こそが素材となるのです。」シュネーベルはかつて、このように彼の音楽に対するアプローチを要約しました。

シュネーベルは他の点でも、伝統的な聴き方から予測されるものとの関係を断とうとしました。彼の作品ではしばしば人の声はひとつの自由な器官となりました。そこでは発音のための全ての選択肢が許容されました ― 歌う、話す、鳴く、そして完全な沈黙も。《Körper – Sprache [Body – Languages]》や《Laut – Gesten – Laute [Sound – Gestures – Noises]》といった観念的なタイトルは、音楽的素材の境界が消滅したことの証左となるものです。さらに、パフォーマーの身振りはシュネーベルの芸術においてますます重要な役割を果たすようになり、コンサートの型通りの状況は排除されました。音楽家たちは部屋のなかで移動するようになり、コンサートの始まりと終わりはもはや、そのように認識できないものとなりました。「ひとたび日常の音環境や日常の時空間となった音楽は、路上へと出て、誰も知らないところへと行ってしまうのです。」

1970年代に、シュネーベルはアンサンブル・マウルヴェルカー(Maulwerker)とのツアーを始めました。音楽と宗教の教育者としての仕事の一部として、彼は生徒とアマチュアのためのコンサートを企画し、それはベルリン芸術大学で彼のために特別に作られたポストである、実験音楽の教授として、シュネーベルが洗練させた根源的な教育的アプローチでした。しかし一方で、その作品の徹底的に開かれたコンセプトによって、彼は(別の)極限にも到達しました。その結果、1978年、ケルン放送交響楽団は《オーケストラ》プロジェクトの演奏を意識的に失敗へと導いたのです。

シュネーベルの芸術的開放性は、調性への開放性も含んでいました。彼は伝統を排除するどころか、むしろそれを「過去への熟考、隠された源泉とそれらの生き生きと連続する流れへの眼差し、そして、それが何に成り得たかという開かれた可能性と、未来への眼差し、これら全てを含む」生きたプロセスとして解釈しました。連作《Re-Visionen》で、彼は創造的かつアイロニックな形で伝統へアプローチしています。シュネーベルは音楽史を、その今日への関連性が絶えず再検証されるべき集積された記憶の一部と見做していました。シュネーベルはまた、アイロニックな軽さを持ちつつも、告解のトーンによって特徴づけられた室内ミュージック・シアター作品《Utopien》において、哲学とユーモアの間を行き来しています。この作品における多くの事は、1968年という時代の一員であると同時に敬虔なクリスチャンでもあった彼の生き方によって説明できるでしょう。まさにこの作品で、これまで芸術家としての彼が表現したことのなかった「ユートピア」が、音楽的な抽象概念として描かれました。しかし(個人としての)シュネーベル自身は、彼にとっての希望を意味するユートピアを常に追い求めていました。

かつて作り出された方法 ―偶然性、実験主義、空間的な音響操作― は、後期の作品にも残りました。多言語のコラージュに基づく《Ekstasis》や、《Sinfonie X》といった記念碑的作品は、彼の後期における創作のエッセンスを伝えるものでしょう。生涯、神学者として学び続けた彼にとっての特別な関心事は教会音楽でした。音楽芸術とは、シュネーベルにとって常に倫理上の概念であり、内なる世界と外の世界、また個人と社会の間のあるべき繋がりであり、究極的には人間という存在の可能性の普遍的なイデアでもあったのです。最後の数週間、彼はhr交響楽団のための新しいオーケストラ作品を書いており、他にもいくつかの新作の初演が今後数ヶ月内に予定されていました。豊かで創造的な人生の真っ只中にあったシュネーベルは、短い闘病の後、2018年のペンテコステ(聖霊降臨祭)の日曜日にこの世を去りました。

ディーター・シュネーベル略歴

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以上、独ショット・ミュージックの記事(2018年5月22日付)より翻訳
・独語版:https://de.schott-music.com/wir-trauern-um-dieter-schnebel
・英語版:https://en.schott-music.com/dieter-schnebel-obituary