これまでに『神童』や『マエストロ』で音楽をテーマにした漫画を描いてきた、さそうあきらの最新作『ミュジコフィリア』は現代音楽に取り組む音大生を描いた青春群像劇だ。「漫画で描けないことはなにもない」と言ったのは手塚治虫だが、まさか現代音楽をテーマにした漫画があるとは思いもしなかった。難解と言われる現代音楽だが、『ミュジコフィリア』では近現代の名曲や実在の作曲家などが作中に登場する。もちろん、物語自体はフィクションだが、登場人物の音楽に対する考え方や、音が鳴る現場の表現にリアリティと愛情があり、この作品における作者のメッセージでもある、とても夢のある思いを感じることができる。
現代音楽やクラシック音楽に抵抗があっても、間違いなく魅力を感じられる内容であり、また、音楽好きにはいろんな発見があるので、ぜひ読んでみてほしい。私たちが普段、音楽というものを意外と狭い範囲でしか捉えていないことに気づかせてくれると思う。また既成の概念にとらわれることなく音の探求をしている実験的な作曲家や演奏家たちがどんなことを考えているのかということを知るヒントになるだろう。私たちショット・ミュージックにとって縁の深い湯浅譲二が、なんと実名で登場するこの漫画を中心に、作者であるさそう氏にインタヴューした。彼のディープな音楽歴は必読である。
2013年9月11日・新百合ヶ丘にて 聞き手:ショット・ミュージック
–––さそうさんがどんな音楽を聴いてきたか教えて頂けますか?
さそう:中学3年の時(1975年)にカール・ベームとウィーン・フィルが来日して、そのコンサートをNHKで放送したんですね、それを見てはまったといいますか…。
–––普通にロックとかポップスを聴いていたわけではないんですか?
さそう:家にピアノがあって小さい頃は習っていたりしたこともあったのでクラシックには興味がありましたね。 それでその時は、カール・ベームのヴィジュアルに心引かれるものがあって。
–––しぶいですね(笑)
さそう:そのときもう80歳を過ぎていたと思うんですけど、お歳のせいかほとんど指揮棒を動かさないのに目線だけが異常に鋭くて…。凄いガン飛ばされたというか、テレビ越しに(笑)。
–––演奏会に行かれたわけではないんですね。
さそう:そうです、テレビで見てただけなんです。今でも印象に残っている曲は、シューベルトの未完成交響曲とブラームスの《交響曲第1番》なんですけど、他にも、ヨハン・シュトラウスのワルツとか、ストラヴィンスキーなんかもやっていました。けっこう多彩なプログラムでしたね。
–––その時期もまだピアノは習っていたんですか?
さそう:ピアノは小学校3年ぐらいでやめましたね。弾くのは好きだったので遊びで鳴らしてましたけど。
–––で、NHKでカール・ベームを見たことがいろいろ聴きはじめるきっかけとなったんですか?
さそう:そうですね。たまたま学校から同じ方向に帰るクラシックオタクの友達がいて、彼からレコードを借りたりして。最初に彼から借りたのがブルックナーの《交響曲第8番》とシューベルトの最後のピアノ・ソナタという、クラシックの中ではコアな曲だったんですよ(笑)。
–––どうでしたか?
さそう:いや、どっちも「すげー!」って思って。すごいハマリましたね、音楽でこんな深くて大きな世界が描けるのか、と。だから今でもどっちの曲も好きです。とくにシューベルトが。
–––あのいつになったら終わるのかわからないやつですね(笑)。
さそう:クラシックオタクの彼に張り合う気持ちもあったし、僕は新しいモノ好きなのですぐ現代音楽にいきましたね。 当時ストラスブール・パーカッション・グループという打楽器アンサンブルが大阪フェスティバル・ホールに来まして、それを見に行きました。高一ぐらいだったかな。
–––曲はなにをやってましたか?
さそう:(ヤニス・)クセナキスの《プレイアデス》ですね、実際に聴衆の中に楽器をセットしてぐるぐる音が回るような。
–––もうその時期には実際にコンサートの現場に行くような感じだったんですね? ラジオやレコードを聴いているだけでなくて。
さそう:いや、やっぱりレコードが中心でしたね。
–––どんなものが好きでした?
さそう:レコードの頃は(エドガー・)ヴァレーズとか、イヴォンヌ・ロリオが弾いた(オリヴィエ・)メシアンの《鳥のカタログ》とかを買ってましたね。
–––それは同級生で話が通じる人はいないですよね?
さそう:そうですね、考えてみれば誰もいないですね(笑)。なんでしょうね、自己満足っていうか、こういうのを聴いている自分がカッコいいみたいなのがあったかもしれませんね。
–––高校生ぐらいの年齢の時にはそう思いがちなところもあるかもしれませんが、それだけでは聴けない音楽ですよね。
さそう:う〜ん、でもレコード買うのもジャケ買いみたいな感じでしたね。《鳥のカタログ》なんかも、レコード何枚かのセット物で、しかもそれぞれ曲のタイトルに鳥の名前がついてるなんてカッコいいと思って買ってました(笑)。それで「これは素晴らしい曲なんだ、僕は絶対これが好きになる」と信じて聴いてると本当に好きになる。そういう感じでしたね、すべてにおいて。
–––じゃあ、特に音楽史の本みたいなものを読んで勉強したってことではなく、CDやレコードを聴きながら掘り下げていった感じですか?
さそう:そうですね。でも勉強という意味では、岩波新書から出てた小倉朗『現代音楽を語る』は印象に残ってますね。
–––それが現代音楽にはまる一つのきっかけになったんですか?
さそう:う〜ん、そうですね、自分の中では、(ベーラ・)バルトークを好きになったこと、それが最初の現代音楽体験だと思っています。バルトークを現代音楽と言っていいのかどうかわかりませんが…。 例によってジャケ買いで手に入れたバルトーク弦楽四重奏団の《弦楽四重奏曲第3番》と《第4番》のレコードでした。 こないだNHK-FMに出させて頂いたときに、思い出の一曲みたいなコーナーでそのレコードを探してもらったんですよ。ジャケットの裏に詩が書いてあるんです。フランス人の。今だとそういうことはありえないじゃないですか。そういうことも含めてカッコいいと当時は思ってましたね(笑)。 まずは4番の緩徐楽章にひかれました。バルトークの夜の音楽というやつです。鳥の声とか虫の声がするやつ。親にはゴキブリの音楽だ、とか近所迷惑だ、とか言われながらも毎晩のように聴いてましたね。 第3番がどうしてもわからなくて悔しかったんですが、それでも「自分は絶対これが好きなはずだ!」と思い込んで聴いてました。それで何回も聴いているうちに、ある日急に、「わかった!」っていう瞬間があったんですよ。「この曲すげー!」って感動して(笑)、単に形式が理解できただけだったと思うんですが。でもそれが最初の忘れられない現代音楽体験ですね。
–––そのあと大学に入学されて漫画を描き始めるんですね。
さそう:そうですね、それまでも落書きのような感じでは描いてましたけど。
–––その時期にもう一度ピアノを弾くとか音楽をやろうとは思わなかったんですか?
さそう:思いませんでしたね、大学は早稲田なんですが、早稲田の漫画研究会は有名でしたから内心漫画を描こうと思ってました。 受験したときに大学の近くの本屋で同人誌を売ってたんですよ、それを読んだりして、合格したら漫研に入ろうと思ってました。
–––当時はどんな漫画を読まれていたんですか?
さそう:実は大学に入るまでほとんど漫画を読んでませんでした。 小学生の頃に父親の仕事でインドに住んでいたことがあるんですが、その時に日本から来た友達がもっていた『巨人の星』を何度も何度も繰り返し読んだ。それしか漫画がなかったんです(笑)。だから僕の「原」漫画体験は梶原一騎なんですよ。
–––それは意外ですね、僕はさそうさんの初期の漫画を読んでいて、絵柄とかをみて70年代後半から80年代初頭あたりのモダンな漫画のイメージを持っていて。『巨人の星』のイメージではなかったんですが(笑)。
さそう:そうですね(笑)、大学時代はニューウェーブといわれた大友克洋さんとか高野文子さんとかが出てきた時期で、そういう漫画に大きな影響を受けました。こんなふうに漫画を描いてもいいんだ、という衝撃をうけましたよ。漫画家としてはその時代が出発点になってますね。わりとその時期オタク元年といわれた年だと思うですが。
–––78年か79年あたりですか?
さそう:僕は80年入学なんですが、早稲田の漫研はわりとガロっぽいところで、先輩はマイナーで暗い漫画を描いていた(笑)。僕はそういうのに惹かれて入ったんですが、同じ学年で入った人はきっちり半分に分かれてました。オタクとガロに(笑)。当時まだオタクという言葉はなかったんですが、同級生で二人称に「おたく」という言葉を使うやつがいましたから。後に「あいつはオタクだったのか!」と。実際、同級生の中にはアニメの監督になったやつもいます。 それからバトントワラーズの写真ばっかり撮って雑誌に持ち込んでるやつがいた。そいつが出版社の編集長に認められて『投稿写真』っていう雑誌を立ち上げたんですよ。そのおかげで四谷三丁目にパンチラビルといわれる社屋が建ったぐらい売れましたね(笑)。僕も卒業してから、彼のおかげで『投稿写真』の読者ページの仕事とかもらって食いつないでいました(笑)。
–––そういう時代ですね、『宝島』や『ビックリハウス』が勢いがあって…。その時代に本格的に漫画を描きはじめたんですね。 その漫画を描き始めた大学時代にもクラシックや現代音楽は聴かれてましたか?
さそう:ええ、聴いてました、でも演奏会に行くような感じではなかったですけど。その頃、武満(徹)さんが好きで、大学生の時に行った1ヶ月のインド旅行から帰ってきた時、すごく武満さんが聴きたくなって、高田馬場のムトウっていうレコード店で武満さんのレコードを買ったんですが、当時は鷺宮に住んでいたんですけど、買ったその日、鷺宮の改札をくぐる時にむこうから武満さんが歩いてきたんですよ。僕も「え!」って思ったんですけど、あの顔はどうみても武満さんで。ほんとはそこでサインしてもらえたらよかったんですけど。忘れられない体験ですね。
–––その時のレコードはなんだったんですか?
さそう:グラモフォンのレコードで《鳥は星形の庭に降りる》です。フランスの音楽のようでいて、どこかすごく日本的な響きが感じられる気がして、好きでした。
–––その後、90年代ぐらいまでの間にはどんな音楽を聴かれていたんですか?
さそう:クラシックな方からいうと、(アントン・)ウェーベルンには勝手に宇宙を感じてましたね。(アルノルト・)シェーンベルクとか(アルバン・)ベルクにはすごくスケベなものを感じました。まだ若かったので…(笑)。『コヤニスカッツィ』という映画を見て(フィリップ・)グラスとかミニマル・ミュージックにはまったときもありましたね。その文脈で(モートン・)フェルドマンとかも好きでした。 洗練された美しさを感じたのは(ピエール・)ブーレーズとか武満徹でしょうか。 メシアンのピアノ曲は聴いていると脳内麻薬が出るような響きの快感がありますね。
–––さそうさんは一貫して音の響きとかに惹かれていますね、それはやはり視覚的な仕事をされているからなんでしょうか?
さそう:共感覚的なものにはすごく興味があって、僕自身がそうということではないんですが、ずいぶん漫画のモチーフやテーマにしてきたと思います。
–––さそうさんが音楽をテーマにした最初の漫画『神童』を描かれるのが90年代の終わりぐらいですが、音楽をテーマにしようと思ったきっかけはなんですか?
さそう:大学卒業ぐらいの時期からインドネシアのガムランをやっていたんですよ。現代音楽の作曲家はみんな一度はインドネシアに行くっていうことがあるじゃないですか。ガムランもそういう文脈から興味をもってはじめたんです。 それで、僕が入ったジャワガムランのグループは芸大とか桐朋の人が中心になっていて、話を聞いているうちに音大生って変な人が多くて面白そうだなと。いつか漫画にしたいって思ったのがはじまりですね(笑)。そういう意味では最初は『のだめカンタービレ』のようなものを構想していた感じですね。でも考えているうちに一人の天才キャラクターを描きたいってすごく思うようになって、双葉社の編集の方が好きに描いていいよ、と言ってくださったので、当時はまだクラシック音楽が漫画になるかわからなかったんですけど、やってみることにしました。
–––この『神童』『マエストロ』『ミュジコフィリア』の3作品はそれまでのさそうさんの作品にくらべてさそうさん自身が楽しんで描いているように感じたんですが、どうですか? もしくは苦しかったことはどんなことですか?
さそう:好きな音楽が漫画のネタになるなんてそれまで思っていなかったので、楽しかったですよ。でも実際やってみると『神童』は週刊誌の連載だったんで、それがきつかったですね(笑)。何日か徹夜してようやく原稿あげたその日に次の打ち合わせ、みたいなペースでやってましたから。あと、締切間際には人海戦術であげざるをえなくなる。アシスタントさんをいっぱい雇って。そうするとこんなに大変な思いしてるのに人件費がかさんで自分の取り分がない。僕はなんのために描いているのだろうって(笑)。
–––私は『神童』以降の作品がそれまでのさそうさんの作品と比べて抜けが良くなったというか、『神童』以前の作品では人間のダークな部分というか業のようなものが物語の中心にあって、苦しいかったり悲しかったりする終わり方が多かったと思いますが、『神童』から、よりポジティブに受け止められるエンディングとなっていったような気がしてます。それは音楽をテーマに描くことが影響しているのではないかと思うのですがどうですか?
さそう:もともと人間が好きだというのはあったんです。でもそれは「人間って変だよね、それが愛おしいよね」という、ねじ曲がった人間愛だった。 でも音楽をテーマにすることによって、確かにもうちょっと肯定的に人間をとらえられるようになった部分はありますね。
–––日本でははありとあらゆるものが漫画になっていますけど、『ミュジコフィリア』を読んで現代音楽をテーマにした漫画があることに驚きました。どんなことがきっかけで現代音楽をテーマにしようと思われたんですか?
さそう:『神童』でピアニスト、『マエストロ』で指揮者、と来たら次は作曲家だろうと(笑)。それに現代音楽でやっていることは普通のクラシックよりも漫画的にも面白いんじゃないかと思ってました。パフォーマンス的なことやシアター・ピースみたいなこととか、使っている楽器を描くだけでも漫画としても面白いだろうと。そして何よりそこにはトップクラスの天才たちが集まっている…。 『神童』で構想した「日常の音と音楽の音には境目がない」という考え方自体も現代音楽をやる伏線になっていましたね。
–––『ミュジコフィリア』には実際にはない架空の曲がいろいろと出てきますが、それらはどこかに元ネタみたいなものはあるんですか?
さそう:ええ、なにかしらありますね、どこかで見たり聞いたりしたのものが。
–––第10話にアオカンの曲として《Invention I》という作品が出てきますが、あれは川島さん[*1]の《インヴェンション Ia》ですよね? あの「は」という歌詞だけの音楽。私は芸大で川島さんの後輩にあたるのですが、成績が不可になって留年してしまったという部分も含め、ある意味、伝説的な実話として知ってました(笑)。
さそう:川島さんにお会いできたのが、運が良かったと思いますね。最初はテレビで山根さん[*2]の曲を聴いて、これすごく面白い、と思って話を聞きにお宅に伺ったんですが、そしたらそこに川島さんがいらっしゃった(笑)。
–––ちょっと話は戻ります、素朴な疑問ですが漫画という視覚表現で音楽という聴覚の表現を描くときの面白いところや難しいところを教えてもらえますか?
さそう:音が聞こえないというのは漫画の利点でもあるんですね。読者の中で最高の音楽を想像してもらえますから。 でも漫画の音楽表現はどうしても聴衆のリアクションとかに陥りがちなので、そうではなくて、他に読者にリアルに感じてもらう方法はないのか、ということを考えました。たとえば『神童』だったらりんごを齧る音とか日常の音に結びつけたり、味とか匂いとかを音と結びつけられないかという工夫ですね、それを実感できるようなエピソードを考えるということが、一番苦心したところでした。
–––なるほど『ミュジコフィリア』での南禅寺のエピソードや秋吉台で朔と蓮太郎が湯浅譲二[*3]とくるくる踊るシーンは、いまさそうさんが言ったように聴き手の感じかたによって普段音楽とは意識しない音が音楽に聞こえるということが伝わってきますね。 すごくいいかたちで、いろんな音が音楽になりえるんだというメッセージを感じました。『ミュジコフィリア』を読むと現代音楽に対して一般的な、ちょっと難解な音楽というような先入観がなくなってきますね。そういう意味では自由に音楽を楽しむ気持ち、音に対して好奇心を持って向かい合えば、現代音楽もいろんな表情を見せてくれるということを教えてくれますね。 秋吉台現代音楽セミナー[*4]に参加されたり、いろんな取材をされていると思いますが、描くことのできなかった面白いエピソードや取材に苦労された話などはありますか?
さそう:湯浅先生が登場される回のネームは先生ご本人とファックスでやりとりしていたんですけど、ファックスを入れると即お返事の電話をいただけるのでびっくりしましたね。 「さそうさん、漫画だから、音楽についてはこういう表現でいいと思います。でも私はこんなに優しいおじいさんではないんだが」と湯浅先生はご自分が「いい人」に描かれていることに不本意そうでした(笑)。そこに半世紀以上前衛を貫いてこられた湯浅先生の矜持のようなものを感じましたね(笑)。
–––なるほどー。あれはご本人に確認を取りながら進めていたんですね。
さそう:そうなんです、あと湯浅先生が主人公と会話するシーンがあるんですが、「湯浅先生が言いそうなセリフ」ということで夏田(昌和)先生[*5]に考えていただきました。 「隣接芸術を知ることは大切です」とか「ここはあなたのコスモロジーを豊かにする場所です」とか…(笑)。 ほんとにいいセリフだったので、自分でも気に入っている場面です。
–––夏田さんにも取材なさったんですね。
さそう:ほんとに親切にいろいろ教えて頂きました。
–––さそうさんはかなり綿密に取材されてるように思いますが、かなり掘り下げた取材をされますか?
さそう:そうですね、取材は好きですし、できるだけやりたいほうですね。
–––『ミュジコフィリア』は京都が舞台ですが、これも京都精華大学で教えられていることと関係がありますか?
さそう:2006年から教えているので、それは影響してますね。あとフィクションの場合は京都が舞台になるだけで付加価値が付くと思います。ドラマとか小説でも京都モノって多いじゃないですか、やっぱり京都は絵になりますし、ドラマになりますね。
–––それはよくわかります、私は以前、仕事でよく京都に行くことがあったので街の雰囲気がわかるんですが、『ミュジコフィリア』の登場人物のような大学生は実際にいそうですしね。それに昔から京都はユニークなミュージシャンが多い土地ですし、学生の街でもあるのでピッタリだと思います。
さそう:なんかノイズ・ミュージックは京都発祥という説もありますよね、ぽっと革新的なものが出てくる雰囲気がありますね。
–––京都精華大学での授業などは東京から通われているんですか?
さそう:そうです、毎週月火水と授業をやります。だから月曜の朝出て、水曜の夜帰ってくるというパターンが一番多いです。けっこう雑用なんかもあって木曜、金曜までいることも多いですよ。
–––そうですか。一年京都に通われていると季節の移り変わりとかきれいでしょうね。
さそう:それが大学との往復ばっかりで、あまりゆっくり京都を感じる余裕がないんですよ。でもいつも鴨川沿いを自転車で通勤してますからそれだけでもずいぶん季節の移り変わりは感じますね。
–––ところで、連載中に心に残ったコンサートを教えてもらえますか?
さそう:武生[*6]で知り合った松宮(圭太)さんという方を頼ってパリに取材にいったんです。 コンセルヴァトワールの授業を受けさせてもらったりしたんですよ。 その時にパリ管弦楽団のコンサートに行って、それはけっこう感動しました。
–––曲は何をやったんですか?
さそう:シベリウスとアルヴォ・ペルトでした。ペルト本人も来ていて、近くで見ることができたんですよ、新作の初演だったんです。指揮は(パーヴォ・)ヤルヴィでした。印象的だったのが、チェロの4番奏者ぐらいの女の子が凄い感情こめて弾いていたり、ティンパニ奏者がすごく前に出てきてバカバカやってて、こういうオーケストラは日本やドイツではないんじゃないかなと思いましたね。終わったあとはもう、拍手喝采でした。
–––さそうさんが中学生ぐらいから現代音楽を聴いていたとは思いませんでした。私も若い頃からクラシックはよく聴いてきた方だと思いますが、さすがに十代にクセナキスは聴きませんでした。
さそう:いや、たまたまだと思うんですが(笑)、ただ打楽器アンサンブルってわかりやすくて面白かったんです。
–––打楽器アンサンブルって基本的にリズムの音楽じゃないですか、ハーモニー的な部分もあまり出てこないですし。聴く人によっては単にガチャガチャしているだけとも思われますよね、そこに中学生ぐらいで良さを見いだすというのはずいぶん早熟な感じがします(笑)。そのぐらい長い間現代音楽を聴いていらして、また取材もされているさそうさんの目から見た現代音楽の世界はどのように感じていますか?
さそう:以前、京都のクラブ「メトロ」でエクスペリメンタル・ミュージックのライブを見たんです。確かオヴァルだったと思うのですが、ずいぶんたくさんの若いお客さんが、踊るんじゃなくてじっと見てるんですよ、そのパフォーマンスを。 あれは現代音楽の演奏会と言ってもいいようなものをやっていると思うんですが、一般的な意味での現代音楽の客層とはまったくかぶることはない。 それが不思議でしたし、すごくもったいないと思いましたね。
–––確かにそうですね。それは逆に武生や秋吉台のセミナーで演奏されている音楽に関しても、そう思われますか?
さそう:そう思いますね、武生や秋吉台に参加して思ったのは、一流の音楽がすごくリーズナブルなお値段で体験できるのに、ほんとに内輪だけの集まりになっていて、コンサートを聴きに行っても作曲家の先生方と受講生しかいない。
–––その通りですね。
さそう:『ミュジコフィリア』で伝えたかったことのひとつは、こんなにすごい才能を持った人がたくさんいるのに、誰も聴く人がいないのはもったいないし、体験しないのはもったいないってことなんです。
–––私たちもまさにそこが問題だと考えているんです。『ミュジコフィリア』で現代音楽を取り上げたことに対しての反響はどうでしたか?
さそう:こういう形で音楽を描いてくれてうれしいかった、という反応はありましたけど現代音楽のファンになりました、というのはあんまりなかったですね(笑)。
–––う〜ん、残念ですね、現代音楽の関係者からの反応はどうでしたか?
さそう:いろんな演奏家の方や作曲家の方とツイッター上ではつながりができましたけど、それぐらいですかね(笑)。そういう広がりはよかったですが、特に大きな反応というのは…。
–––僕自身は『ミュジコフィリア』を読んでいて、いま自分が当然と思っている音楽のあり方に捕われているだけなのかも知れない、自由な音の楽しみ方や聴き方があっていいんだ、と教わった気がします。
さそう:そういっていただけるとうれしいです(笑)。僕の漫画はなぜか映画化率が高いので、なんとか『ミュジコフィリア』が映画にならないかと思ってます。 実は僕の描いた音楽漫画の中で『ミュジコフィリア』が一番映画に向いてると思ってます。現代音楽は音にした時に一番面白いですよ。 どうやったら映画向きの話になるか、自分で脚本を考えているくらいです。
–––青春群像劇としても面白そうですよね。
さそう:そうなんですよ、そういう角度からできないかと思って。
–––ぜひ湯浅先生の曲を使って頂いて(笑)。
さそう:ご本人に出演していただきたい。僕の夢ですね。
–––次回作について伺いたいのですが、もう予定は決まっていますか?
さそう:次は音楽の話ではなく、盲人のラブストーリーを考えてます。まあでも五感をテーマにして感覚的なことを描くという意味では音楽の話とも共通していますね。視覚以外の五感をとおして、晴眼者とは違う視覚障碍者の中の世界を想像してもらえたらと思ってます。
–––次回作を楽しみにしてます、今日はありがとうございました。
さそうあきら
1961年兵庫県生まれ。84年、「シロイシロイナツヤネン」(『ヤングマガジン』、第11回講談社ちばてつや賞大賞)でデビュー。代表作には音楽をテーマにした「神童」(『漫画アクション』、97〜98年)があり、99年に第2回文化庁メディア芸術賞および第3回手塚治虫文化賞をダブル受賞し、2007年に映画化。小学校5年生の妊娠、出産という衝撃的な内容で話題を呼んだ「コドモのコドモ」が映画化、言葉を知らない少年を描く「トトの世界」がNHKでドラマ化されるなど、マンガに留まらない注目を集めている。09年、「マエストロ」で再び第12回文化庁メディア芸術賞受賞。
『ミュジコフィリア』(双葉社):美しい風景や音で溢れる京都を舞台に、芸大生たちが新しい音楽を鳴り響かせる——。「今、生まれるべき音」の芸術を追い求める若き群像とその疾走を、さそうあきらが色鮮やかに描き出す! 『神童』『マエストロ』に続く音楽シリーズ第3作。
『神童』(双葉社):ページをめくれば心に鳴り響く不思議で切ない物語! 天賦の才能で世界のピアノ界に華々しくデビューする、『神童』と呼ばれた少女の努力の過程を描いた感動の物語。手塚治虫文化賞マンガ優秀賞+文化庁メディア芸術祭優秀賞をダブル受賞。2007年、成海璃子主演で映画化。
『マエストロ』(双葉社): 日本屈指の交響楽団が不況の煽りで解散! 食い詰めた元団員たちが謎のジジイ、天道のもとに再結集。身も心も音楽に捧げた者たちが、極上の《運命》と《未完成》を奏でる物語。傑作『神童』に続く、感動の音楽漫画。
*
*1:川島素晴。作曲家。演奏行為の共有体験化を目的として「演じる音楽」を提唱、独自の観点から作曲を行う。数々の音楽企画やイベントのプロデュースも行っているほか、現在、国立音楽大学と尚美学園大学で教鞭をとる。『ミュジコフィリア』連載中、様々なアドバイスを提供。1992年秋吉台国際作曲賞、1996年ダルムシュタット・クラーニヒシュタイン音楽賞、1997年芥川作曲賞、2008年中島健蔵音楽賞など、国内外で多数の作曲賞を受賞。
*2:山根明季子。作曲家。音を視る、音で造形をデザインするというコンセプトで、「ポップな毒性」をテーマに作品を描いている。川島素晴とともに、現代音楽コンサートシリーズ「eX.(エクスドット)」を主宰する等、自ら演奏会を企画。2005年武生作曲賞入選、2005年日本現代音楽協会作曲新人賞富樫賞、2006年第75回日本音楽コンクール作曲部門第1位増沢賞、2008年芥川作曲賞。
*3:湯浅譲二。作曲家。1950年代、武満徹らと共に芸術家グループ<実験工房>に参加。音楽を「音響エネルギー体の空間的・時間的推移」と捉え、管弦楽、室内楽、合唱、テープ音楽、コンピュータ音楽、サウンド・インスタレーションなど、幅広い作曲分野で活躍している。映画やテレビ・ドラマのための音楽も多い。現在、桐朋学園大学音楽学部特任教授。ベルリン映画祭審査員特別賞、尾高賞、京都音楽賞大賞、サントリー音楽賞、紫綬褒章、旭日小綬章など、受賞・受章歴多数。
*4:「秋吉台の夏」現代音楽セミナー&フェスティバル。湯浅譲二を音楽監督として、山口県秋吉台(秋芳町、現・美祢市)で開催されている現代音楽のセミナー。コンサートやワークショップに加え、作曲家や演奏家のためのマスタークラスが行われる。
*5:夏田昌和。作曲家、指揮者。作曲と指揮の両分野において、出光音楽賞や芥川作曲賞をはじめとする様々な賞を国内外にて受賞し、アンサンブル・アンテルコンタンポランやフランス文化省、サントリー音楽財団他より数多くの作品委嘱を受ける。指揮者としてもアンサンブル・コンテンポラリーαなどの演奏団体と共に、数多くの新作初演や現代作品の紹介に携わる。日仏現代音楽協会事務局長。
*6:武生国際音楽祭作曲ワークショップ。福井県越前市(旧・武生市)で催される武生国際音楽祭の一環として行われる、現代音楽の作曲家を対象としたセミナー。2001年に同音楽祭の音楽監督に就任した作曲家の細川俊夫が新設し、以来毎年開催されている。講師として国内外から一流の作曲家や演奏家を招聘し、レクチャー、リスニング・セッション、ディスカッション、レッスンなどが行われる。