11月に日本初演となるグラミー賞受賞オペラ《アイナダマール》。6月にプレ・コンサートのため来日した作曲者ゴリホフ氏にインタビューを行いました。生い立ちから、これまでの自作、彼がサウンドトラックを担当したコッポラの映画まで、忌憚なく語ってくれました。
ボーダーを飛び越える作曲家オスバルド・ゴリホフの、創作の背景にせまるロングインタビューです。
–––日本に来るのは初めてですか?
いや、10年前に一度来日しています。政府からの招待で、京都に滞在しました。アートについてのトークショーでした。一緒に来日したのはジャズのサックス・プレイヤーであるオーネット・コールマンとあと数名、誰だったかはちょっと忘れてしまいましたが(笑)。
–––京都の印象はどうでしたか?
とてもラヴリー(笑)でしたよ、ほんとに魅力的な場所でした。はじめての日本は、とても… それまでは村上春樹や三島由紀夫、川端康成などからしか知ることのできなかった世界が、なんというか、ユニークで、食べ物や贈り物など、すべてのものがひとつの世界を作っているように感じました。そう、日本以外の世界がすっかり忘れてしまったものがあるというか。
–––このインタビューではまず、あなたがスコアを制作された映画の話から聞かせてください。あなたは『耳に残るは君の歌声』[1]で初めて映画音楽のスコアを担当されました。これはどのような経緯だったのですか?
監督であるサリー・ポッター[2]の舞台作品の音楽を、私の友人のクロノス・カルテット[3]が担当していて、彼らがサリーに私を紹介してくれました。すごく単純な話ですけど(笑)。クロノス・カルテットと、ルーマニアのジプシー音楽を演奏するグループであるタラフ・ドゥ・ハイドゥークス[4]が共演した時でした。『耳に残るは君の歌声』はルーマニアのジプシーがひとつのテーマになっているので。
–––映画はユダヤ人の女性とジプシーの青年の物語でした。その背景とあなたの背景には共通点があります、委嘱となにか関係はありますか?
映画はクリスティーナ・リッチ演じるユダヤ人の娘と、ジョニー・デップ演じるジプシーの男のラブ・ストーリーですが、ユダヤの音楽、ジプシーの音楽そして第二次大戦中のパリのオペラなどが出てくるので、サリー・ポッター監督にとって私は適任だったのでしょう。私の母方の祖母はルーマニアの出身でもありますしね。
「コッポラ氏との仕事は私の感覚を広げてくれた」
–––通常の作曲と映画音楽の作曲で一番違うのはどのような部分ですか?
私は自分がフィルム・コンポーザーだとは思っていません。これまでに仕事をしたのもサリー・ポッターとフランシス・フォード・コッポラ[5]のふたりだけですし。どちらかといえば、ふたりの偉大なアーティストとコラボレイトできたといったところでしょうか。
実際フィルム・スコアを制作することはとても魅力的ですが、ほんの数秒から1分間ぐらいに凝縮しなければなりませんし、物語を推進する役割を負うこともあります。しかし私にとって、自分の楽曲を作ることは映画監督にとっての映画を作ることと同じなのです、楽曲が映画と言ってもいいかもしれません。そういう意味では、通常のフィルム・スコアは脚本や俳優、演出などのように映画の1パートにすぎません。おわかりになりますか?
コッポラ氏はステロイドのような過剰なフィルム・スコアを嫌います。『ゴッドファーザー』には必要なものの他には、ほとんど音楽がありません。アル・パチーノが警察部長ともうひとりを殺すシーンではゴーっという列車の走る音が鳴り、しばらくして「〜♪(メロディを口ずさむ)」と、観る者の情感にシンクロするように音楽が流れますよね。これは、アドレナリンをパンプ・アップするハリウッド的な映画監督とはまったく違った手法だと思います。そういった部分でコッポラ氏との仕事は私の感覚を広げてくれたと思います。彼はまさにオペラの作曲家のようでした。彼はよく、「ここは哲学的に」とか「ここはもっとロマンティックに」とか、細かく指示を出します。私はそこからストーリー・テリングを学びました。
ゴッドファーザーのテーマや『続・夕日のガンマン』[6]、ジョン・ウィリアムズ[7]の映画音楽のように、ほんのわずか数秒でも非常に多くのことを表現できる可能性がありますから、もし機会があればまた映画の仕事はやってみたいと思います。
–––ちょうど話がでましたので、コッポラ氏の映画について聞かせてください。あなたはコッポラ氏の最近の3作品すべての音楽を手がけています。『コッポラの胡蝶の夢』[8]、『テトロ』[9]、『ヴァージニア』[10]はどれも監督自身のパーソナルなおとぎ話のような映画でした。だからこそ、あなたが監督から非常に信頼されていると感じます。どのようなきっかけでコッポラ氏と仕事をすることになったのですか?
驚くほどシンプルです、コッポラ氏が私に手紙をくれたのです。非常に古風ですよね(笑)、とても信じられませんでした。本当に美しい手紙です、まだ私のピアノの上に置いてありますよ。
はじめは『メガロポリス』という映画のサウンド・トラックという依頼でした、しかしこの映画は実現しませんでした。この映画は力強い大作で、まさにコッポラという企画だったので実現しなくてほんとに残念です。
彼はハリウッドの作曲家と仕事をしたくなかったのです。それに自分自身で様々なことを決めていました。音楽についても、何人かの作曲家を自分でチェックしてから、私に手紙をくれました。それから彼の南カリフォルニアにあるワイナリーに一週間滞在して、脚本を読んだり音楽について語り合いました。それはほんとに素晴らしい体験でした。その後『メガロポリス』の企画はなくなってしまいましたが、すぐに『コッポラの胡蝶の夢』の話が動きだしたのです。
コッポラ氏のお父様はとてもすぐれた作曲家だって知ってましたか? トスカニーニ[11]のオケでフルートを吹いていたんですよ、だからコッポラ氏も本当によく音楽を知っています。彼から音楽を依頼されるのはとても名誉で魅力的なことです。
彼は映画監督とは思えないぐらい音楽を知っていて、クルターグ[12]やメシアン[13]を聴かせてくれました。そして彼のアプローチはまったくコマーシャルではなく、とても音楽的でオープン・マインドでした。
–––それはいきなり聴かせてくれたんですか?
そうです、いきなりメシアンですよ(笑)。
- ^ 原題『The Man Who Cried』。サリー・ポッター監督の3作目の映画。2000年公開。ジョニー・デップとクリスティーナ・リッチが共演。ゴリホフが音楽を担当した。
- ^ Sally Potter(1949):イギリス出身のダンサー、演出家、脚本家、映画監督。映画『オルランド』(1992)、『タンゴ・レッスン』(1997)で世界的に注目され、以後コンスタントに映画を制作。オペラの演出なども手がける。
- ^ Kronos Quartet:サンフランシスコを拠点に活動する弦楽四重奏団。1973年結成。クラシック、現代音楽、ジャズ、民族音楽など、幅広い音楽性と実験性を兼ね備えたアンサンブル。
- ^ Taraf De Haidouks:ルーマニアの首都、ブカレストを拠点に活動するジプシー・バンド。1993年に映画『ラッチョ・ドローム』に出演したことから世界的に評判となる。2002年にBBCワールド・ミュージック・アワードを受賞。これまでに数度、来日公演を行っている。
- ^ Francis Ford Coppola(1939):現代を代表するアメリカの映画監督。代表作は『ゴッドファーザー』三部作、『地獄の黙示録』。『ゴッドファーザー』と『ゴッドファーザー・Part.2』で1972年と1974年にアカデミー賞作品賞を受賞。
- ^ 原題『The Good, the Bad and the Ugly』。クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督によるマカロニ・ウエスタンの名作。1966年制作。音楽はエンニオ・モリコーネ。
- ^ John Towner Williams(1932):アメリカの作曲家。『ジョーズ』、『スターウォーズ』、『未知との遭遇』など多くの映画音楽を手がけ、アカデミー賞とグラミー賞の音楽賞を多数受賞。アメリカで行われた3度のオリンピック(ロスアンゼルス、アトランタ、ソルトレイクシティー)のテーマ音楽も作曲している。
- ^ 原題『Youth Without Youth』。コッポラが『レインメーカー』以来10年ぶりに監督をした映画。2007年制作。ティム・ロス主演。原作はミルチャ・エリアーデの小説『若さなき若さ』。監督自身のプロダクションで制作され、ハリウッド映画の制作システムの制約から自由となった実験的な作品。
- ^ 『テトロ 過去を殺した男』(原題『Tetro』)2009年公開。ヴィンセント・ギャロ主演。アルゼンチンを舞台とする、家族のドラマ。前作『コッポラの胡蝶の夢』と同様、コッポラ自身のプロダクションで制作が行われた。
- ^ 原題『Virginia』。2011年公開のファンタジー・ホラー。ヴァル・キルマー主演。コッポラが監督、製作、脚本をが手がけている。音楽には、ゴリホフのほか、ブルックリン・シーンで活動するダン・ディーコンが起用された。
- ^ Arturo Toscanini(1867-1957):イタリア出身の指揮者。ニューヨーク・フィルやNBC交響楽団の首席指揮者を歴任、世界的な名声を得た。
- ^ György Kurtág(1926):ルーマニア出身、ハンガリー人の作曲家。バルトークやウェーベルンらに影響を受け、同郷のリゲティと親交が深かった。共産主義政権時代のハンガリーを逃れ、パリに留学しミヨーやメシアンに学ぶ。1980年代以降世界的な評価が高まった。
- ^ Olivier Messiaen(1908-1992):20世紀を代表するフランスの作曲家、ピアニスト、オルガニスト。パリ高等音楽院で教鞭を取り、教え子にはブーレーズ、シュトックハウゼンやクセナキスなどがいる。代表作は《鳥のカタログ》、《世の終わりのための四重奏曲》、オペラ《アッシジの聖フランチェスコ》など多数。
–––映画に音楽をつける、実際の制作について教えてもらえますか? 例えば脚本から音楽をイメージするのか、ラフに編集したフィルムをもとに作るのか、といった具体的な方法をうかがえればと思います。
そうですね、私には映画音楽を作っている友人が何人かいるのでわかりますが、通常はフィルムをつないでから音楽をつけていきます。ここと、ここに音楽を入れて、という感じですね。でもコッポラ氏はまったく違いました。彼は脚本の段階で、このシーンにはこういう音楽が欲しい、と言います。音楽に意味を語らせるんですね。たとえば『コッポラの胡蝶の夢』では、現実のシーンと主人公の夢のシーンを音楽で区別したいと説明されました。そして愛のパート、ラブ・シーンではチャイコフスキーの《ロミオとジュリエット》のようなライト・モチーフを考えて欲しいと言われました。多くの映画監督は編集したシーンに対して音楽を付けていきますが、コッポラ氏は違いました。個々のシーンは彼にとってあまり重要ではないのです。
面白い話があります、コッポラ氏がまだ若い監督だったころ編集作業はすべて女性がやっていました。彼女達はお互いにお喋りをしながら手作業でフィルムを切っていました。当時はサイレント映画でしたが、彼女達が彼に言ったのが、「キス・シーンのフィルムはだいたい腕の長さと同じで、良いキス・シーンはその倍の長さ」ということでした(笑)。彼は映画全体の流れを大事にします。そしてラッキーなことに、後に『ゴッドファーザー』や『地獄の黙示録』で一緒に仕事をする天才的な編集技術者であるウォルター・マーチ[14]と出会います。ですからコッポラ氏は映画全体を考え、細かい編集についてはウォルターが見るようになりました。
「シンプルに表現する」
–––音楽について、具体的な曲調のリクエストはありましたか?
ありました。ここはこんな音楽でなければならない、という感じです。それは何かと似たような曲を作って欲しいということではなく、例えば「現実と夢を区別するような」、といった感じでした。意味合いの問題です。私もクルタークやメシアンは好きですから、彼がなにを望んでいるのか理解できました。多くの映画監督は仮にあてはめた楽曲を使います。作曲家はある曲を真似して作ることもあります。監督は編集を重ね、それから音楽を考えるからそうなってしまうことが多いのでしょう。
–––レコーディングについてはどのようなプロセスで進行するのですか? まずデモを作ってから実際のレコーディングに入るのですか?
それは面白い質問ですね(笑)、なぜなら私は映画音楽の作曲家ではないので。そうですね、私の友人の映画音楽の作曲家はみなシンセサイザーやPCを使ってほんとに出来の良いデモを作りますし、監督も具体的な音楽がないとイメージできません。でもコッポラ氏にそいうったプロセスは必要ありませんでした。ある時は私が電話越しにピアノを弾いてもイメージを理解してくれました。「そうそう、そんな感じ」、みたいに(笑)。
これはコッポラ氏の凄いところですね。彼はそれだけでイメージできるのです。他の監督ではなかなかできないと思います。それが彼のスタイルでもあります、例えば『ゴッドファーザー』の曲で「〜♪(歌う)」というのがありますよね。そのメロディーがすべてを語ってます、映画の中ではそのメロディーがトランペットのソロだったり時にはオーケストラの場合もあります。彼はなにが重要なのか、なにを優先すべきかをよくわかっています。とても興味深いことです。
–––それは作曲を教える先生がスコアを見て音楽を理解するような感じですね。
そうです、彼は譜面を読むことはできませんが、ピアノでちょっと弾くだけで理解してくれます。
–––そういったプロセスのあと、レコーディングにコッポラ氏は立ち会うのですか?
もちろんです、彼は素晴らしい耳を持ってますよ。私がレコーディングの時にちょっと変わったことをすると、彼が「その変な感じを冒頭にもってきてくれないか」みたいに反応してくれます。それはちょっとしたプレッシャーでもありますけどね。
–––実際のレコーディングで曲が変わることもあるのですか?
そうです、大きな編成のオーケストラでは難しいのですが、小さな編成ではよくありますね。
–––『ヴァージニア』にはPCやシーケンサーで作られた曲も収録されてますが、このような制作も行っていますか?
あの部分は私でなくダン・ディーコン[15]です、私はオーケストラの曲を作り、それ以外は彼が作りました。
–––共同で作業したわけではないのですね。
そうです、私は彼のことを知りませんでした。実際、電話とメールのやりとりをしただけでした。あの時はコッポラ氏に場面ごとの音楽を依頼され、ダン・ディーコンがそれを打ち込みでアレンジしたり編集したりしました。
–––コッポラ氏がなぜダン・ディーコンを起用したのかわかりますか?
多分、ソフィア[16]がコッポラ氏にダンを推薦したんだと思います。コッポラ氏もトラディショナルなスタイルと前衛的なもの、両方を取り入れたいと考えたようでした。
–––ダン・ディーコンの音楽は聴いたことはありますか?
聴いてないんですよ(笑)。
–––それではコッポラ氏の映画全体について、あなたの考えを聞かせてください。
彼は私達の時代を代表する天才のひとりだと思います。彼はまるでシェイクスピアの作品のような、時の流れに風化せず、時間を経てさらに意味の深くなる2つのマスターピースを残しました。『ゴッドファーザー』と『地獄の黙示録』です。それ以外にもすばらしい作品がいくつもありますし。
革新的なスタイルで作品を作りながら、同時に非常に大きなポピュラリティーを獲得するアーティストはわずかです。実験的であることやポップであることはできますが、両立することは困難です。たとえばベートーヴェンの音楽はシンプルですが同時にとてもインテリジェンスがありますよね。同じようにコッポラ氏はシンプルに表現することの大切さを知っていると思います。
- ^ Walter Murch(1943):アメリカの音響技師・編集技師。南カリフォルニア大学在学中にジョージ・ルーカスやジョン・ミリアス、フランシス・コッポラと知り合う。その後コッポラの映画の音響技師として活動、後に編集作業も手がけ、映画編集・音響技師として高い評価を得ている。
- ^ Dan Deacon(1981):ボルチモア出身のエレクトロニック・ミュージシャン。2003年のデビュー以来、テクノ、エレクトロ、クラウト・ロックなど様々なサウンドを独自のスタイルでミックスするユニークな手法で大きく注目される。代表作は2009年にリリースされた『ブロムスト』。
- ^ Sofia Coppola(1971):アメリカの映画監督、脚本家、カメラマン。父親は映画監督のフランシス・フォード・コッポラ。『ヴァージン・スーサイズ』(1999)で映画監督デビュー。代表作に『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)、『マリー・アントワネット』(2006)。
–––これまでにあなたは映画音楽の仕事を4本行っていますが、他にもオファーは来ていませんか?
『バベル』の監督であるアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ[17]の『11’09’’01/セプテンバー11』という短編映画の音楽を担当しました。同じく彼の映画『ビューティフル』では、私の友人グスターボ・サンタオラヤ[18]の曲のオーケストレーションをいくつかやりました。
これからも映画の仕事をする可能性はありますが、今はなによりもメトロポリタン歌劇場のオペラの仕事が最優先なので、いつになるかわかりません(笑)。
–––グスターボ・サンタオラヤはどういう知り合いなのですか?
彼もアルゼンチン出身で、子供の頃からの知り合いです。彼は以前、ロックバンドで活動していてアルゼンチンではスターです。クロノス・カルテットがメキシコの音楽をテーマにしたアルバム『Nuevo』をグスターボがプロデュースしてますし、私のアルバム『Ayre』でもギターを弾いてくれました。
Ayre Deutsche Grammophon/2005
–––テレビやCMの仕事は手がけていないのですか? 興味はありますか?
テレビやCMはやってないですね。いまはオペラのことに集中しているので、考えたこともありません(笑)。
–––日本の映画からのオファーがあったらどうでしょう?
それは映画の内容や監督によりますね。ローラ・ポイトラス[19]というドキュメンタリー作家を知ってますか? スノーデン事件をスクープした人ですが、彼女がつくるドキュメンタリー・フィルムには非常に興味があります。有名ではなくても、どこの国だろうが私自身が興味を持てる作品を作っている人となら、一緒に仕事をしてみたいと思いますね。
–––日本のアニメーションはどうでしょう?
それはぜひやってみたいですね! 日本のアニメーションは大好きです、非常に興味があります。それほど多くは知らないのですが『もののけ姫』は大好きです。
–––日本の映画監督で興味のある人はいますか?
残念ながらそれほど多くは知りません。黒澤明は好きですが、彼はもういませんしね(笑)。『乱』[20]は素晴らしい映画でした。
–––武満徹の音楽はどうですか?
彼の音楽は大好きです、ほんとに素晴らしい。
–––『乱』の音楽も好きですか?
いや、私は彼のコンサート音楽が好きです。私はボストンでオリヴァー・ナッセン[21]に師事していました。彼はタングルウッドでも教えていましたが、武満の音楽は本物(True)だと、彼はつねづね言ってました。まさに私も同感です。多くの音楽が作られては消えていきますが、彼の音楽は残り続けるでしょう。
「私の音楽は人の心や魂、意識と無意識を表現しようとしています。」
–––あなたの音楽には様々なスタイルが混在している点がとてもユニークだと思います。クラシックの作曲家は、あるスタイルを徹底的に追求する人が多いと思いますが、あなたが様々なスタイルで作曲しているのは意識的にそうしているのでしょうか?
そうかもしれませんね、私の音楽は人の心や魂、意識と無意識を表現しようとしています。インタビューのはじめに私が日本について感じていることを話ましたよね。それと同じように、人は異なる文化を持つ人々の気持ちを知りたいと考えるのだと思います。たとえば日本人がフラメンコを聴いた時に、スペイン人のようにその深さをすぐに感じることはできなくても、その魅力を感じることはできます。さらに、その事を違う言語で表現しようとしてもまったく同じものにはならないかもしれませんが、自分なりに表現したいと思っています。ピカソが様々なスタイルで表現してもつねにピカソであるように。
–––あなたはこれまでどんな作曲家に影響されてきましたか?
ルチアーノ・ベリオ[22]はとても好きです。いまでも好きですよ。それとやはりベートーヴェン、シューベルト、それとシューマンです。今は新しいオペラのプロジェクトのためにヴェルディを研究しています。つまりその時、どんな音楽を作ろうとしているかによりますね。
–––同世代の作曲家で共感できる人はいますか?
もちろん、多くの素晴らしい同時代の作曲家がいますよ。マグヌス・リンドベルイ[23]やトーマス・アデス[24]は素晴らしいですね。アメリカの作曲家デイヴィッド・ラング[25]も好きです。私の音楽とはそれぞれ違いますが、彼等にはとてもインスパイアされます。
–––10代から20代、アルゼンチンでの子供時代からティーンエイジャーの頃にはどんな音楽を聴いていましたか?
子供の頃は母がピアノで弾いていたバッハやベートーヴェン、モーツァルトやシューベルト、ブラームスやバルトークです。それと父はタンゴが大好きでした。彼はユダヤ礼拝堂の合唱にも参加していて、私にとってもユダヤの伝統音楽は重要でした。私はブエノス・アイレスのような都会ではなくラプラタという小さな街に住んでいたので、常にレコードで音楽に出会っていました。10代でストラヴィンスキーと出会い、そして20代でスティーヴ・ライヒを発見したんです。これは本当に大きな影響を私に与えました。
–––ポップ・ミュージックはどうですか?
もちろん! 私はラテン・アメリカの音楽が好きですよ、ほとんどがブラジルのものですね。ジョビンやミルトン・ナシメント、シコ・ブアルキなどが好きです。もちろんイギリスのロック・バンドも聴いていましたよ、ピンク・フロイドやエマーソン・レイク・パーマーとか。あと、マイルス・デイヴィスとギル・エヴァンスですね。
–––そうなんですね、実は『耳に残るは君の歌声』のサントラを聴いていて、ピンク・フロイドっぽいなと思っていたんですよ(笑)。
そうですか! それには理由があるんですよ、実はあの映画のサントラにはフレッド・フリス[26]というギタリストが参加してくれています。あの時私はいくつかのオーケストラ曲とクロノス・カルテットのための曲を書いていて、ほぼすべて出来上がったところにサリー・ポッターがフレッドを連れてきたんですよ。彼がほんの一音ギターを弾いたんです。普通はいろいろ試しながら弾きますよね。彼はその一音だけでしたが、最高でした。彼は素晴らしいミュージシャンですよ。
–––その雰囲気が私にピンク・フロイドを感じさせました(笑)。
それは嬉しいですね。
- ^ Alejandro González Iñárritu(1963):メキシコ出身の映画監督。2000年に『アモーレス・ペロス』で長編作デビュー。2003年、ベニチオ・デル・トロ主演の映画『21グラム』で高い評価を獲得。2006年の作品『バベル』は、カンヌ国際映画祭監督賞ほか、多くの映画賞を受賞した。
- ^ Gustavo Santaolalla(1952):ブエノスアイレス出身のミュージシャン、ギタリスト。数多くのサウンドトラックを手がけ、2005年の『ブロークバック・マウンテン』、2006年の『バベル』でアカデミー作曲賞を受賞。
- ^ Laura Poitras(1962):アメリカ出身のドキュメンタリー作家。一貫して国家や政府機関による情報操作などを告発する作品を製作し、『マイ・カントリー、マイ・カントリー』は2007年のアカデミー賞候補となった。2013年の、アメリカ国家安全保障局による個人情報収集に対してエドワード・スノーデン氏が行った告発にも、大きく関わっている。
- ^ 黒澤明監督による27作目の映画。日仏合作、1985年公開。多くの外国映画賞を受賞。音楽を手がけた武満徹と、監督が衝突したというエピソードがよく知られている。
- ^ Oliver Knussen(1952):イギリスの作曲家、指揮者。1986年から1998年まで、タングルウッド音楽センターで現代音楽部門の部長をつとめた。代表作に、《Coursing》、《交響曲第3番》、《かいじゅうたちのいるところ》、《Flourish with Fireworks》など。
- ^ Luciano Berio(1925-2003):イタリアの現代音楽の作曲家。1950年代から晩年まで、前衛的な作品を中心に多くの作品を残した。代表作に《セクエンツァ》シリーズ、《シンフォニア》、《レンダリング》など。ジュリアード音楽院教授、聖チェチーリア音楽院学長を歴任。
- ^ Magnus Lindberg(1958):フィンランドの作曲家、ピアニスト。代表作に《UR》、《キネティクス》など。日本では武満徹がいちはやく評価した。
- ^ Thomas Adès(1971):イギリスの作曲家、ピアニスト、指揮者。早くから才能を認められ、ベンジャミン・ブリテンの再来とも言われている。代表作はオペラ《Powder Her Face》。
- ^ David Lang(1957):アメリカの作曲家。20世紀的なアカデミズムや系統にこだわることなく、ジャズやロックまで様々なスタイルを取り入れた作品を発表する。2008年にピューリッツァー賞を受賞。
- ^ Fred Frith(1949):イギリス出身のギタリスト。1968年にアヴァンギャルド・プログレッシヴ・バンド「ヘンリー・カウ」を結成。現代音楽の方法論をロックに持ち込み、独自のサウンドを獲得した。即興演奏家としても評価が高い。ビル・ラズウェルやジョン・ゾーンらとも活動を共にするユニークな音楽家。
「南米の人にとってはリズムがより重要なのです。ですから私はバッハのメロディーをリズムで再構成しようと考えました。」
–––東欧にルーツがあり、南米で育ち、イスラエルで音楽を学んだという経歴はまさに21世紀のコスモポリタンという感じがします。それはスタイルやジャンルを超えていくあなたの音楽ともリンクしていると思います。
これはとても興味深い話ですね。たしかに若い頃は、自分の人生のストーリーは奇妙とも思えました。しかし、いまでは多くの人が様々な生い立ちを持っています。例えば、昨日の演奏会で会ったヴァイオリニストはキューバ出身、歌手の奥さんはスペイン人でした。70年代にはこうしたことは確かに珍しいことで、私のようなタイプはマイノリティーでした。いまではマジョリティーと言ってもいいでしょう、様々な人々が国境を超えて行き来することは当たり前のことになっています。もしあなたがニューヨークに行ったら隣人はアフガニスタン、エチオピアやロシアから来た人かもしれません。ニューヨークは本当にすべてが交わっていますし、世界がどんどん同じようになってきているとも感じます。
–––あなたにとっての故郷とはどこだと感じますか?
そうですね、う〜ん、エルサレムが私にとっての故郷でしょうか。いや、どこでも故郷かもしれませんね。
–––イスラエルに留学されたのもそれが理由でしょうか?
そうです、とても重要な理由です。数世代に渡って私の家族はイスラエルに行くことを望んでいましたし、それは家族の夢でもありました。
–––どの国があなたの音楽にもっとも影響を与えたと思いますか?
それはやはりアメリカでしょうね。実際のところ、イスラエル留学の後、私はヨーロッパに行こうと考えたこともあります。そうだったら私の音楽はもっと違ったものになったでしょう。ヨーロッパはかなりイデオロジカルですが、アメリカはオープン・マインドだと思います。また、実際に国や場所が大きく影響するのは、その人の子供時代だと思います。子供時代がひとつの国とも言えると思います。そういう意味ではアルゼンチンから最も大きな影響を受けているのかもしれないですね。
–––ユダヤの伝統音楽を知らない私にとって『Yiddishbbuk』[27]は未知の音楽でしたが、これは伝統的な音楽なのですか? それとも伝統音楽をテーマにあなたなりの新しさを加えてあるものなのでしょうか?
この作品ははまったく伝統音楽ではなく、とてもパーソナルなものです。たしかにユダヤの伝統音楽的な面もあります。たとえばヴァイオリンはユダヤ礼拝堂で歌われるような音を出しています。しかしだからと言ってユダヤ音楽ではありません。
–––ユダヤ人の生活やユダヤ音楽を良く知る人にとっては違和感のない音楽なのか、それとも知っている人達にとっても新しさのある音楽なのでしょうか?
彼らはユダヤ音楽的なものを感じるでしょうが、完全に認識することはできないと思います。メロディー・ラインなどに気が付くとは思いますが、ユダヤ音楽はもっと抽象的ですから。
Yiddishbbuk EMI Classics/2002
–––南米の音楽はヨーロッパを中心とした西欧の音楽と、まったく違ったメンタリティーがあると思います。例えば悲しみという感情でも、聴きようによってはひどく陽気に聴こえたり、喜びの表現にちょっとした虚無感や悲しみが感じられたりするところがあると感じます。あなたの『マルコ受難曲』にはそれが非常によく現れているように感じます。あえて意識して作られたのでしょうか?
そうですね、あなたの言うように南米では悲しみやメランコリーの表現がヨーロッパとは違いますね。でも日本も違うのではないですか(笑)。多分その違いがいちばん表れているのは、ダンスでしょう。ラテン・アメリカでは踊ることがとてもスピリチュアルなことなのです。もしバッハが受難曲のアリアを南米で書いたらダンス・ミュージックになっていたでしょう。昨日のコンサートを見てもらったのならわかると思いますが、フラメンコはとてもスピリチュアルでした。単なる踊りではありません。
–––あなたがシュトゥットガルトの国際バッハ・アカデミーから委嘱を受けて『マルコ受難曲』を作曲した時、バッハの受難曲は意識していましたか?
もちろんです! バッハの受難曲は、それぞれの場面に聖書の注釈が関わっていて、それぞれの受難曲にはそのための注釈があります。私はそれとは反対に儀式的な要素を中心に構成し、より演劇的なものを目指しました。それは南米の人に伝わりやすいので、論理的ではなく、よりスピリチュアルなものになっています。
もちろん、バッハにおいてはハーモニーも重要です、しかし南米の人にとってより重要なのはリズムなのです。ですから私はバッハのメロディーをリズムで再構成しようと考えました。この受難曲は南米で語り継がれてきたストーリーです。バッハはドイツ人でルター派ですが、私は南米の出身ですから、違う方法でアプローチをしたのです。この委嘱自体がそれぞれの作曲家が生まれ育った場所で受難曲がどのように受け継がれてきたのかを反映させて欲しいというものでしたから、私にとってそれは南米ということになります。
La Pasión según San Marcos Hänssler Classic/2001
–––バッハの受難曲はとても長く受け継がれてきた記念碑的な作品だけに、新しいアプローチをすることは非常に勇気が必要だったのではないですか?
もちろん!(笑)。この受難曲を作ることは絵を描く作業のようでした。絵筆を何千回も重ね、ゴッホが何度も黄色を塗るように、他の作業とはまったく違って、とても革新的で、ユニークです。私はこの受難曲を他にはないようなものにしたかったのです。ルーブル美術館で一枚の絵を見て、また次の絵を見るようなものではなく、この受難曲がまったく比較するものがないぐらいに。だから、南米特有で、それこそイエスは浅黒い肌で、そしてダンスをします。私はバッハのような曲ではなく自分の曲を作ろうと考えたのです。もちろんバッハのヴィジョンは彼にとっての真実ですが。
- ^ ゴリホフの室内楽作品集アルバム(EMI/2002)。演奏はセント・ローレンス弦楽四重奏団ほか。表題作《Yiddishbbuk》や、《盲目イサクの夢と祈り》など、作曲者自身のバックグラウンドである伝統的なユダヤ音楽やジプシーの音楽、東欧のクレズマーなどにヒントを受け作曲された作品を収録。
–––キリスト教が様々な国や場所でそれぞれの形で受け入れられているということですね。
そのとおりです。南米、とくにブラジルやキューバでは、西アフリカから奴隷として連れてこられた人々の信仰とも交わっています。とくにヨルダンの文化と混じり合ったキリスト教はとてもパワフルです。また、ポルトガルとスペインが北アフリカのゴート王国に十字軍を送り、長い戦争をした歴史もあります。それは当時のドイツも協力していました(笑)。
つまり、キリスト教、もしくはキリスト教的なものは様々な表情を持っています。そのストーリーはとてもユニヴァーサルなものなので、ドイツのルター派から見たものもひとつの側面にすぎません。私はもっと原始的な感覚を取り入れたかったのです。
–––フランソワ・クープラン[28]の《ルソン・ド・テネブル》を解体、再構成した《テネブレ》という曲がありますが、どういう経緯で作曲されたのですか? この作品はあなたの宗教的な音楽のひとつだと感じました。
もちろんそうです、これは宗教音楽です。経緯は…その曲がとても好きだからですよ!(笑) 私が《テネブレ》で使ったのはクープランのオリジナルの構成です。クープランのオリジナルは旧約聖書の『エレミア書』にもとづいた合唱曲で、文章の始まりの文字からメリスマで歌われますが、その構成を楽器に置き換えて作曲しました。私はクープランの《ルソン・ド・テネブル》に非常に惹かれます。そのメリスマ唱法の繰り返しに特別なものを感じたのです。本当に驚くべき作品だと思います。
–––ラテン・アメリカ音楽についての勉強はしたのですか?
アルゼンチンに住んでいた頃は、とくに勉強はしませんでした。《マルコ受難曲》を書いただけです。しかしアルゼンチン人にとって、マンボでもルンバでも、すべてのリズムは学校で勉強しなくても自然と身に付くものです。でもボストンに住むようになってバークリー音楽院で勉強しました。
–––ダンス・ミュージックは好きですか?
もちろん!
–––私は《マルコ受難曲》がとても好きなのですが、なぜ受難曲がダンス・ミュージックなのか、先程あなたがおっしゃった「ダンスはスピリチュアル」という言葉で非常に納得できました。
そうです、踊ることはスピリチュアルな表現なのです。
「死者の魂と話をすること、それが《アイナダマール》のテーマです。」
–––あなたのルーツについて聞かせてください。民族の歴史は家族から度々聞かされましたか? 戦後に生まれた世代としても、その歴史は自分の世代まで地続きだと感じますか?
そう思います。興味深いことに、第二次大戦の後に一度消滅したかのように思えたユダヤ音楽が、今またリバイバルしていると感じます。もちろんユダヤ音楽はひとつだけではありません。東欧だけでなく、イエメンのような北アフリカにもあります。多くのユダヤ民族が世界を転々と渡ったことにより、世界中の様々な場所に影響が残っています。
–––あなたは21世紀を生きる作曲家らしく様々なスタイルの曲を自由に作っているように感じます。一方で、その自由さの根底にはユダヤ人であるというこだわりをどこかに感じます。それは意識しているのでしょうか?
もちろんです、私の音楽は私がユダヤ人であることを抜きには語れません。それは表面のことだけでなく、もちろん目はブラウンですし、見ためもそうですが。
私の音楽はユダヤ的だと思います、つまりアナーキーだということです。例えば普通のオーケストラ作品はヒエラルキー的ですが、私のそのように音楽を作りません。私の音楽はまったく政治的ではないのです。これはとてもユダヤ的だと思います。
例えば教会に行くと神父がいて、みな同じように振る舞いますね。そこには機能があり、ヒエラルキーがあると思います。ユダヤの礼拝堂では、ある人は叫んでいたり、ある人は瞑想していたりします。みなそれぞれ自由にしていまが、その混沌とした状況の中から突然ひとつのメロディーが響いたりするのです。私はその感じがとても好きなのです。バラバラになって空を飛ぶ鳥達が突然ひとつの方向を向くようなことがありますね、そんな感じなのです。そういう意味で私の音楽はとてもユダヤ的だと思います。
–––ところであなたはジョージ・クラム[29]とオリヴァー・ナッセンという対照的な二人の音楽家に師事しています。この隔たりにはどのような意味があったのでしょうか?
先生の音楽性が重要だったのではなく、偉大な先生だったということが大事なのです。どんなスタイルかは問題ではありません。もしあなたが若いユダヤ人であれば、あなたは師事すべきラビを選ばなければなりません。先生の言っていることが目的ではなく、彼の姿から学ぶのです。
私はクラムから、つまり彼の人生、音楽、知識、そして彼の考える「絶対音楽」についての語り口から、多くを学びました。たとえば尺八にとって音程は重要ではありません、吹き方が問題なのです。わかりますか? 音楽には音程やリズムなど様々な要素がありますが、すべて並列で大事なことなのです。クラムの考えは日本人の作曲家のようでした。一方オリヴァー・ナッセンは、クラムとは全く違いました。
しかしふたりとも偉大な先生です。それぞれのやり方で多くの生徒を教えていますが、共通しているのは素晴らしい教師であるということです。わかりますか? バッハは偉大な教師でしたが、彼の生徒は誰も彼のように作曲はできませんよね。
–––個人的にはナッセンから楽器の使い方を習得したのかなと思ったのですが。
そうだったら良かったのですが(笑)。彼は本物のマスターでしたよ、私はあまりいい生徒ではありませんでしたが。彼はオーケストラを知り尽くしていましたし、素晴らしい耳を持っていました。
–––それでは最後に、11月に東京で上演されるオペラ《アイナダマール》について。2005年に一度脚本の改訂を行っていますが、どのような目的だったのですか?
2003年の初演も気に入っていましたが、ちょっと気になる部分があったので演出家のピーター・セラーズに助言をしてもらいました。それがとても良かったので改訂したのです。目的は、ロルカのキャラクターをよりフレッシュにすること、人々に知られた歴史であるスペイン内戦をもっと前面に出すこと、そしてマルガリータ・シルグの回想を中心に展開するので、彼女の若い頃の場面を追加することでした。この物語ではマルガリータの人生が循環します。彼女が死ぬときにその役割を引き継ぐ役が必要だったので、彼女の生徒役(ヌリア)を追加しました。芸術に終わりがないように、誰かが死んだら、またそれを誰かが引き継ぐという構造です。
–––それ以外の改訂はありますか?
いえ、ありません。マドリッドで上演された時だけ、ユニークなプロダクションにしました。ヌリヤ・エスパルトというすばらしい女優がロルカを演じましたが、彼女がロルカの詩を朗読する場面を加えました。でもこれは彼女でなくては出来ないことなので、この一度だけでした。
–––11月に上演される《アイナダマール》を楽しみにしている人にメッセージをお願いします。
《アイナダマール》は死と隣り合わせた魂の対話、現実とは別のリアリティーの物語です。あなたが年をとって、あなたの周りの人々が死んだとしてもあなたは彼らと対話をすることができるのです。彼らの魂と話をすること、それが《アイナダマール》のテーマです。この物語が日本の人にも伝わることを祈っています。
–––今後の予定をお聞かせください。
なによりもメトロポリタン歌劇場のオペラです! しかしいつ完成するのかまだわかりません(笑)。私は受難曲の時のように、自分なりの創造の物語を作りたいと考えています。聖書、宇宙、ビッグ・バン、科学的でコズミックな創造を描きたいと思います。受難曲は死と犠牲の物語なので、次は創造の物語にしたいですね。
–––それは大きな構想になりそうですね。
そうです、しかしまだそれをどう表現したらいいのかわかりません。
Osvaldo Golijov (1960)
作曲家。東欧系ユダヤ人の両親のもとアルゼンチンで育ち、エルサレムのルービン・アカデミーで音楽を学んだ後、アメリカでジョージ・クラム、オリヴァー・ナッセンに師事。代表作に、オペラ《アイナダマール》、グラミー賞ノミネート室内楽作品集『Yiddishbbuk』(演奏:セント・ローレンス弦楽四重奏団/EMI)、クロノス・カルテットとのコラボレーション《盲目イサクの夢と祈り》、ドーン・アップショウ(ソプラノ)が初演を行った《ソプラノのオーケストラのための3つの歌》、歌曲集《アイレ》など。2000年に初演された、シュトゥットガルト国際バッハアカデミー委嘱「J・S・バッハ没後250年記念作品」では、キューバやブラジルなどのラテン・パーカッションを全面的に取り入れた《マルコ受難曲》を発表し、大きな話題となった。フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『コッポラの胡蝶の夢』(2007)、『テトロ 過去を殺した男』(2008)、サリー・ポッター監督『耳に残るは君の歌声』(2000)など、映画のサウンド・トラックも多く手がける。ドイツ・グラモフォンからリリースされているCD『アイナダマール』は、2007年グラミー賞『最優秀クラシック現代作品』及び『最優秀オペラ録音』の2部門を受賞した。
WEB SITE:www.osvaldogolijov.com
NISSAY OPERA 2014
2014年11月15日(土)14:00 |
作曲:オスバルド・ゴリホフ
指揮:広上淳一 |