インタヴュー:アリベルト・ライマン オペラ《リア》日本初演を終えて
photo © Schott Promotion - Gaby Gerster
インタヴュー
アリベルト・ライマン オペラ《リア》日本初演を終えて
東京の日生劇場で昨年11月8日から3日間にわたり、現代ドイツを代表する作曲家アリベルト・ライマンの出世作、オペラ《リア》の日本初演(日生劇場開場50周年記念《特別公演》/二期会創立60周年記念公演/読売日本交響楽団創立50周年記念事業)が行われました。2012年のオペラ《メデア》日本初演に引き続き、リハーサルと全公演の立ち会いのために来日したライマンに、最終日の公演直後、今回の公演等について話を聞きました。
聞き手:ショット・ミュージック
通訳:蔵原順子氏
2013年11月10日・日生劇場にて
––– この度は《リア》の日本初演おめでとうございます。欧米ではもう何度も上演されている《リア》ですが、1978年の世界初演から35年を経て、ようやく日本初演され、この3日間で大成功を収めたことは、私ども出版社にとっても大変名誉なことだと思っております。ライマンさんは昨年の《メデア》に引き続き、今年の《リア》の上演に際しても、リハーサルから本番まですべて立ち会われました。今回、《リア》が極東の日本という地で上演されたことについて、作曲家としてお考えがありましたら、お聞かせいただけますか?
ライマン 昨年の《メデア》の素晴らしい公演という経験があり、今年も再び、素晴らしいオーケストラと下野(竜也)さんという素晴らしい指揮者に関わっていただけるということで、《リア》も間違いなくうまくいくだろうという確信がありました。
––– 今回の公演前に行なわれたプレトークやシンポジウムで、(ディートリヒ・)フィッシャー=ディースカウさんがこの《リア》の作曲のきっかけをくださったと伺っております。今公演で初日と楽日にリア役を歌われた小森輝彦さんは、フィッシャー=ディースカウさんに師事された経験があり、ディースカウさんの指導を大変重要なこととして、常に念頭において歌ってこられたということです。小森さんにとって《リア》の日本初演は大変名誉なことであると仰っています。彼は少し前にドイツで「宮廷歌手(Kammersanger)」という称号を得られていますが、この称号自体は日本においてまだあまり馴染みのない言葉なので、「宮廷歌手」とはどういうものなのかを、ライマンさんから少しご説明いただけますか?
ライマン 「宮廷歌手」というのは特別な称号で、まず何よりも高いクオリティを持った歌手であるということが最も重要な条件です。加えてひとつの歌劇場に長年所属し、そこで歌った功績が認められた歌手に与えられる称号です。長くひとつの歌劇場で歌っていたからといって、誰もが宮廷歌手になれるわけではありません。きちんと高い水準を維持し、そして劇場にとって大きな功績のあった歌手のみに与えられる称号です。
小森さんはゲラ[*1]の歌劇場で、12年間アンサンブルメンバーとしてご活躍され、非常に大きな功績があった。だからこそ、その功績に対する称号として、「宮廷歌手」という称号が授与されたわけです。
私は小森さんの歌を、今回初めてこの《リア》で聴かせていただきましたが、本当に素晴らしい歌手でいらっしゃるので、彼にこの称号が与えられたのは当然のことだと思いますし、相応しい称号だと思っております。日本人としては初の「宮廷歌手」と伺っておりますが、大変優れた歌手でいらっしゃるので、彼の歌を聴けば当然貰うべくしてして貰った称号だと思います。
––– そのお話は、我々にとっても大変嬉しいニュースですね。
––– 小森さんにリア役を歌っていただいて、今回の日本初演が実現されたわけですが、このプロダクションの中での彼の仕事ぶりはライマンさんにとっていかがでしたか?
ライマン 素晴らしいリアだったと思います。オケ合わせから稽古に立ち会って、オケ合わせ、H.P.[*2]、G.P.[*3]と初演の前に3回、彼のリアを聴いていましたが、回を重ねるごとにどんどん良くなっていくんです。
オケ合わせよりもH.P.が良く、H.P.よりもG.P.が良く、そして更に初日が良くなって、初日から今日の2日目の公演に向けて更に良くなっていた。どんどん発展していった方だと思います。ものすごく解放されていった感じがします。自由になっていって、加えて非常に自立した感じがどんどん芽生えてきて、素晴らしいリアでした。
––– 今のお話を伺っただけでも、今回の《リア》日本初演が大成功だったということが実感できますが、このプロダクション全体においてのご感想、あるいは今までの欧米でのプロダクションとの違いなど、何か感じられたことがありましたらお聞かせください。
ライマン これまでに私が体験してきた《リア》のプロダクションと比べると、やはり大きく様相が異なるプロダクションだったと思います。とはいえ、サンフランシスコでジャン=ピエール・ポネル[*4]が手がけたプロダクション[*5]と共通する点もいくつか見受けられました。
ミュンヘンでの公演[*6]の後にポネルがサンフランシスコで演出をしたもので、ミュンヘンのプロダクションを踏襲しているのですが、いくつか変更した点があって、そういうところに少し共通点があるかなと感じました。
演出に加えて、今回のプロダクションで私に全く新しい体験をもたらしてくれたのが、日生劇場特有のオーケストラの配置です。ピットに収まりきらないからという理由なのですが、非常に浅いピットに弦楽器だけを配置して、舞台の左右に管楽器を配置したことによって、これまでにない響きの空間を今回のプロダクションで体験することができました。舞台の右に金管楽器、左に木管楽器と打楽器という配置がとても良い効果をもたらしました。
今回の演出も大変気に入っています。なぜなら、完全に音楽から発生している演出だからです。舞台空間の使い方も大変見事ですし、このプロダクションは音楽面、演出面、全ての面において私を幸せにしてくれた素晴らしいプロダクションでした。
––– どうもありがとうございました。今後もご活躍をお祈りしております。
[*1] ゲラ:ドイツのテューリンゲン州アルテンブルク・ゲラ市。
[*2] H.P.:ハウプトプローベ。ゲネラルプローベの前段階の稽古。
[*3] G.P.:ゲネラルプローベ。オペラにおける最終の通し稽古。
[*4] ジャン=ピエール・ポネル(Jean-Pierre Ponnelle, 1932-1988)。フランスを代表するオペラ演出家。ロッシーニやモーツァルトなどの古典的オペラからハンス・ヴェルナー・ヘンツェといった現代の作曲家のものまで幅広い作品を手がけ、欧米の名だたる歌劇場で活躍した。オペラ映画の制作にも精力的に取り組み、数多くの演出作品が映像ソフト化されている。
[*5] 1981年6月および1985年9月のポネル演出によるサンフランシスコ公演。
[*6] 《リア》は1978年7月9日、ミュンヘンにおいて世界初演された。この時の演出、舞台美術もポネルによるもの。ミュンヘンでは、世界初演後、1982年まで何度も同じプロダクションで上演されている。
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