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細川俊夫インタビュー 新作オペラ《海、静かな海》

2016年 1月18日付

細川俊夫のオペラ《海、静かな海》(Stilles Meer)の世界初演が、ハンブルク州立歌劇場でいよいよ今月24日に行われます(全5公演)。独カールステン・ヴィット・ミュージック・マネジメントのウェブサイトで公開されている細川俊夫インタビュー記事の翻訳を下に掲載します。

オペラのあらすじ・制作スタッフ・出演者などの詳しい情報については、2015年12月1日付の記事もあわせてお読みください。



以下翻訳:


Photo © Toshio Hosokawa

私たちは起きたことを直視しなければならない – 細川俊夫、新作オペラを語る



細川俊夫の新作オペラ《海、静かな海》が、1月24日ハンブルク州立歌劇場で待望の初演を迎える。平田オリザの演出、ケント・ナガノの指揮によって制作されるこの作品は、2011年の津波と福島の原子力災害という文脈のなかで、伝統的な能の主題を扱っている。私達は先頃、東京都交響楽団のアニヴァーサリー・ツアー公演のなかで行われた《嵐のあとに》のドイツ初演に立ち合うためにベルリンを訪れた作曲家の細川俊夫に会い、インタビューを行った。

聞き手:カールステン・ヴィット・ミュージック・マネジメント(KWMM)


KWMM 細川さん、 遅ればせながら、まずは(60歳の)お誕生日おめでとうございます。これは日本では重要な日なのですか?

細川 ありがとうございます。そうですね、60歳の誕生日は特別なものです、つまり12年が5回です。12年は干支の1周分です。そういうわけで還暦の誕生日は盛大に祝われます。


KWMM あなたの新しいオペラ《海、静かな海》のなかで、あなたは私達に日本の風習* を紹介しています。昼と夜の長さが同じになる春分と秋分の前後数日間、死者の魂が日中に現世へ戻り、晩に来世へ旅立つ、というものです。あなたのオペラのなかで、日本で暮らしているドイツ人女性が津波によって息子と日本人の継夫を亡くし、この習わしに参加することを願います。子どもの父親である彼女の最初の夫** は、ドイツへ帰るよう彼女を説得しようとします。このオペラにおいて、この家族が日本とドイツという2つの文化の中で揺れ動くことに、どのような意味があるのでしょうか?

* お彼岸 ** ドイツ人男性

細川 このオペラには2つの文学的な下地があります。1つは、能の伝統的な演目である『隅田川』。我が子を失い、それを信じることができない母の物語です。もう1つは日本の近代文学からで、古き良き100年前の作品です。『舞姫』はベルリンに暮らす日本人の男の絶望的な愛の運命を描いています。著者の森鴎外自身によるドイツでの経験、またドイツ文学からも影響を受けているこの作品は、日本で大変よく知られています。私のオペラでは、状況が逆転します。つまりドイツ人の男性が、愛する人を探すために日本に来るのです。異文化との直面は、私達にとって常に興味深いものです。


KWMM あなた自身の経歴においても、その「直面」は中心的な位置を占めていますね。あなたはドイツで作曲を学び、その過程のなかで、祖国から遠く離れながら日本の文化を見出しました。その後あなたは自身のオペラのなかで2度、能の主題を描いています***。しかし《海、静かな海》は《班女》や《松風》と異なり、文化的視点の変化、そして津波と原子力災害への同時代的言及という観点において、伝統的な主題を超えています。あなたはこれらの出来事を個人的にどのように体験しましたか?

*** オペラ《班女》(2003-04)と《松風》(2010)

細川 私の音楽にとって主要なテーマは、自然と1つになること、自然との調和を見出すことです。このテーマは全ての私の作品に通じています。私達は福島の自然を破壊してしまいました。自然災害は私達が想像し得る何よりも恐ろしいものでした。私は広島に生まれましたが、この街は私が生まれる前に未曾有の破壊を経験しました。そして福島… それは私にとって衝撃でした。以来、私は長い間この題材に取り組んできました。このオペラのなかに、人々が灯籠を持って海岸へ行き、その灯りを海へ返すシーンがあります。この風習は私達が信じているものを明らかにしています。人の魂は海から来て、死後は海へ帰る、ということです。しかしこの海は汚染されてしまいました。では私達はどこへ帰ればよいのでしょうか。


KWMM このオペラに横たわる断絶は、台本から読み取ることができます。歴史的な素材や伝統的な日本の習わしが扱われていくなかで、突如として放射線防護服に身を包んだ人々が現れます。これはあなたのオペラの新たな側面ですか?

細川 そうです、私たちはただの「素敵な」オペラを作ることはできません。私自身、破壊された福島の街を見ました。それは凄まじいものでした。私にはそれが、私達の未来のように見えました。世界の終わり、私が見たものはまさしくそれでした。忘れることはできません。今の日本では、私達はこの出来事に目を閉じようとしています。しかし私たちは起きたことを直視しなければなりません。


KWMM リブレットは平田オリザ氏が書き、ハンナ・デュブゲン氏が最終稿を仕上げました。今回のハンブルクのプロダクションで、平田氏は演出も手がけています。日本において彼は非常にリアルな現代口語演劇を演出することでよく知られています。この手法はどのようにオペラにフィットするでしょうか?

細川 ハンブルク州立歌劇場の新しい芸術監督であるジョルジュ・デルノン氏が、今回のコラボレーションを提案しました。彼は最近ドイツ内でよく見られる演出と比べて、何か決定的に違う要素を演出に取り入れたかったのです。これまで平田氏は、《班女》広島公演の小規模なオペラ演出を手がけたことがあるだけです。しかし彼は素晴らしい仕事をしてくれました。彼は他の演劇作品のなかでロボットを使っており、私のオペラのなかでもそれを登場させます:ロボットだけが放射線管理区域に入ることができるからです。ある場面で、ロボットは防護服を着て歌う合唱を先導して、管理区域に入っていきます。


KWMM 日本にルーツを持つもう一人の人物、指揮者のケント・ナガノ氏も、このプロダクションに関りますね。

細川 私はこれまでに何度もケント・ナガノと共に仕事をしていますが、彼は驚嘆に値する指揮者です。彼はアメリカ人で、常に彼自身のアイデンティティーを探しています。2つの文化の間で育った人々を私は数多く知っていますが、彼らは皆それを探しています。異文化同士がどのようにして調和するのか、外部の文化をどのようにして学び、それらを新たな形にすることができるのか、これらは興味深いものになり得ます。


KWMM この作品、またあなたの多くの作品の中には、もう1つ文化的な架け橋があります、それはダンスです。能を主題とした以前のあなたのオペラ《班女》と《松風》は、ヨーロッパの著名な振付家であるアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルと、サシャ・ヴァルツによって演出が行われました。今回の新作で、主役の女性はかつてバレエ・ダンサーでした。彼女にバレエを教わった子供は、海辺での儀式のあいだ彼女のために踊り、一瞬、彼女の亡くなった息子の役も引き受けます。あなたにとって、ダンスは何の役割を果たすものなのでしょうか?

細川 能では、全ての動きは予め決められ、様式化されています。そしてまた、振付家による演出では、歌い手がとても美しく動くのです。私はあの動きを必要としています。日本の舞では、舞手は大地とともにあり、非常にゆっくりと動きます。対してヨーロッパのバレエは重力に抗い、そこから自由になろうとします。これらの思想は私にとって大きな着想の源です。私はいくつかの作品を想像上のダンスのために作曲しています。私の内なる日本の舞の音楽です。


KWMM このオペラの中心にあるのは別離の過程であり、そして能の伝統とは総じて癒しに関わることです。オペラの中で、どのようにして癒しが成されるのでしょうか? そして観る人達の中では何が起きるのでしょうか?

細川 私が音楽を作るのは、私が癒しと精神的な救済を必要としているからです。私のオペラで、この悲しい母親は歌い、歌うことを通じて癒しを体験します。聴衆もまた、音楽を聴くことを通じて精神的な癒しを体験するでしょう。ベンジャミン・ブリテンもまた、『隅田川』を下地にして《カーリュー・リヴァー》を作曲しました。とても良いオペラですが、キリスト教的過ぎると私は考えます。私はもっと、寛容さを備えた仏教的なオペラを作りたいのです。能は、魂の癒しの過程のドラマであり、それこそが私のオペラのまたあるべき姿であると考えています。


KWMM では、ここでの癒しは、また別の意識の状態において、私たちが現実を認識し、受け入れることができるということを意味するのでしょうか?

細川 そうです。私たちは音楽を通じて、日本で何が起きたのかを見ることができるでしょう。それは今日の芸術家ができる唯一のことです。私たち芸術家は直接政治的な表現はできません。しかし音楽によってなら、破滅的な災害を、そして秩序を、見せることができるでしょう。



原文:http://en.karstenwitt.com/magazine#ID-e76179b342

KWMM 11/2015 © Nina Rohlfs


翻訳・補筆:ショット・ミュージック