ピーター・マックスウェル・デイヴィス逝去
© Martin Lengemann
私達は深い悲しみとともに、サー・ピーター・マックスウェル・デイヴィスの死をお報せします。81歳でした。
現代を代表する作曲家の1人、サー・ピーター・マックスウェル・デイヴィスは、様々なジャンルに渡る多くの作品によって、英国のみならず世界の音楽史に深く寄与しました。彼とショットとの関係は、《D管トランペットとピアノのためのソナタ》(1955)から、最後の大作である子供のためのオペラ《The Hogboon》(2015)まで、60年以上の長きに渡りました。彼の最後の数ヶ月で作曲された《The Hogboon》は、2016年6月にサイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団による世界初演が行われます。
リゲティ、ルトスワフスキ、ベリオ、クセナキスら前衛の世代に続く後継者として、同時に、まさに英国的な作曲家としても認識されていたマックスウェル・デイヴィスの仕事は、交響曲、協奏曲、オペラ、ミュージック・シアター、バレエ音楽、映画音楽、合唱など、考え得る限りのクラシック音楽の分野を包含するものでした。彼はまた経験豊かな指揮者であり、1992年から10年間、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とBBCフィルハーモニックの副指揮者兼作曲家を務めました。
マックスウェル・デイヴィスは1934年9月8日、ランカシャー州サルフォード生まれ。マンチェスター王立音楽院で学び、ハリソン・バートウィスル、ジョン・オグドン、エルガー・ハワース、リチャード・ホール、アレクサンダー・ゲールらと並び称されるマンチェスター楽派の1人となりました。後にプリンスタウンでは、ロジャー・セッションズとミルトン・バビットにも師事しています。
1971年にオークニー諸島に移り住み、その地を終の棲家としました。その風景や文化は彼の音楽に力強い影響を及ぼしました。1977年に彼はオークニーで聖マグヌス国際音楽祭を設立し、子供たちのために多くの作品を書くなど、終生に渡って地域社会へのアウトリーチ活動や教育に携わりました。戦争、環境問題、政治といった諸問題に言及している彼の多くの作品は、社会的責任に対する彼の鋭い自覚に貫かれています。
マックスウェル・デイヴィスは2004年から2014年まで「女王の音楽師範(英国王室楽長)」の職を務めました。1987年にナイトに叙され、2014年にコンパニオンズ・オブ・オナー勲章を受勲。2016年2月、ロイヤル・フィルハーモニック協会から、傑出した音楽的才能を認められた者に贈られる最高の名誉であるゴールドメダルを授けられました。
2016年3月14日、マックス(親愛をこめてこう呼びましょう)はオークニーの自宅で白血病のため亡くなりました。心よりお悔やみを申し上げます。
サー・ピーター・マックスウェル・デイヴィスのマネジメントは、インタームジカが行っている。作品はブージー・アンド・ホークス、チェスター・ミュージック、ショット・ミュージックから出版されている。
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