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作曲家

武満徹
Toru Takemitsu
1930.10.8 – 1996.2.20

English

1930年、東京に生まれる。おもに独学で作曲を学んだ。

作品は、コンサート・ピースから電子音楽、映画音楽、舞台音楽、ポップ・ソングまで多岐にわたる。「タケミツ・トーン」と呼ばれた独特の響きは、世界中の演奏家、音楽ファンを魅了した。

また1973年から1992年までおこなわれた「Music Today」の音楽監督や、1986年に始まった「サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ」を監修するなど、常に同時代の音楽に高い関心をもち、多くの優れた作曲家を日本に紹介した。

名エッセイストとしても知られ、『音、沈黙と測りあえるほどに』などの他多数の著書がある。

1996年、65歳で死去。



武満徹 年譜

1930(昭和5年)
10月8日、東京で生まれる。生後1カ月、父の勤務先の大連(現・旅大)にわたる。

1937(昭和12年)7歳
小学校入学のため、単身帰国。本郷の富士前小学校に入学。

1943(昭和18年)13歳
京華中学校に入学。

1948(昭和23年)18歳
清瀬保二に師事、作曲を学ぶが、おもに独学。

1950(昭和25年)20歳
12月7日、東京でおこなわれた新作曲派協会第7回作品発表会で、ピアノのための《2つのレント》が、藤田晴子により初演される。山根銀二によって、「音楽以前である」と評された。

1951(昭和26年)21歳
9月、音楽家、画家、演奏家、詩人たち、十数人とともに、総合的な芸術活動をめざすグループを結成。詩人・評論家の瀧口修造により、<実験工房>と命名される。
東京で開かれたピカソ展の前夜祭の催しのひとつとして、実験工房が委嘱された創作バレエ『生きる悦び』のための音楽を鈴木博義と共作。実験工房第1回発表会として、11月24日に日比谷公会堂で上演される。
以降、同グループが1957年に発表活動を停止するまでの間、グループの主催演奏会で、ピアノのための《遮られない休息Ⅰ》、ミュージック・コンクレート《ルリエフ・スタティク》などを発表。

1956(昭和31年)26歳
6月、映画『狂った果実』(監督中平康)の音楽を担当。以降、90を超える映画音楽を作曲、内外の映画音楽賞を多数受賞した。

1957(昭和32年)27歳
6月20日、東京交響楽団委嘱、《弦楽のためのレクイエム》が、上田仁指揮同交響楽団により、東京で初演される。2年後に来日したストラヴィンスキーがこの作品を聴いて、絶賛する。

1958(昭和33年)28歳
8月、弦楽アンサンブルのための《ソン・カリグラフィーⅠ》が、20世紀音楽研究所主催の第2回現代音楽祭(軽井沢)作曲コンクール第1位。
NHK委嘱、語り手と室内オーケストラのための《黒い絵画》が、イタリア放送コンクール、イタリア大賞を受賞。
NHK委嘱、オーケストラのための《ソリチュード・ソノール》により、芸術祭個人奨励賞受賞。

1960(昭和35年)30歳
9月、《弦楽のためのレクイエム》が、第1回東京現代音楽祭ドイツ大使賞を受賞。

1961(昭和36年)31歳
8月、フルート、テルツ・ギター、リュートのための《リング》が、第4回現代音楽祭(大阪)で、ドイツ大使賞受賞。 

1962(昭和37年)32歳
3月、東京画廊で、 黛敏郎、 一柳 慧、 高橋悠治とともに「グラフィック楽譜展」。《弦楽器のためのコロナⅡ》などの図形楽譜を出品。

1963(昭和38年)33歳
6月、文化放送委嘱、ソプラノとオーケストラのための《環礁》が、パリのユネスコ/国際音楽評議会(IMC)の国際現代作曲家会議で第5位。
パリで開かれた、国際現代芸術祭日本館(構成=勅使河原蒼風)のための音楽を、一柳 慧とともに担当。

1964 (昭和39年)34歳
3月、ハワイ大学/イースト・ウェスト・センターの<今世紀の芸術>フェスティヴァルに招待される。
サンフランシスコの<デイヴィッド・チュードア音楽祭>に参加した後、ジョン・ケージ、画家ジャスパー・ジョーンズらとともにハワイに戻り、4月19日から開かれた<ホノルル現代音楽祭>に参加、多くの作品が演奏される。
5月、エッセイ集『武満 徹←1930・・・∽』を自費出版。

1965(昭和40年)35歳
6月、NHK交響楽団が東京オリンピック芸術展示公演のために委嘱した、ピアノとオーケストラのための《テクスチュアズ》が、パリのユネスコ/IMCの国際現代作曲家会議最優秀作品賞受賞。

1966(昭和41年)36歳
5月、一柳 慧とともに、現代音楽祭<オーケストラル・スペース>を企画・開催(同音楽祭は68年にも開催された)。
9月に、指揮者として来日したアーロン・コープランドが、武満のオーケストラ作品を聴き、「今日の大作曲家のひとり」と絶賛。
11月、日本ビクターのLP4枚組の全集『武満 徹の音楽』により、芸術祭大賞受賞。

1967(昭和42年)37歳
サンフランシスコのムジカ・ヴィヴァ・フェスティヴァルで、コープランド指揮サンフランシスコ交響楽団室内オーケストラによって演奏会初演された、クーセヴィツキ財団委嘱作品、17の弦楽器のための《地平線のドーリア》により、アメリカ西海岸音楽批評家賞受賞。
10月から6カ月間、ロックフェラー3世財団の招きにより、渡米。
11月、ニューヨーク・フィルハーモニック創立125周年記念委嘱、尺八、琵琶、オーケストラのための《ノヴェンバー・ステップス》が、鶴田錦史、横山勝也、小澤征爾指揮同オーケストラによって、ニューヨークで初演される。
12月、小澤征爾指揮トロント交響楽団による演奏会とRCAビクターのレコード録音のため、トロントに滞在。
カリフォルニア州立大学客員教授。

1969(昭和44年)39歳
10月、オーストラリアのムジカ・ヴィヴァ<キャンベラ・スプリング>フェスティヴァル、テーマ作曲家。

1970(昭和45年)40歳
3月から大阪で開催された万国博覧会の鉄鋼館<スペース・シアター>のための音楽をプロデュース、また同音楽堂の音楽監督として、演奏会<今日の音楽>やシンポジウムなどを企画。

1971(昭和46年)41歳
8月、マールボロ音楽祭、ゲスト作曲家。
10月、パリ国際音楽週間(SMIP)<現代音楽の日々>、テーマ作曲家。
同月、エッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』を新潮社から出版。

1972(昭和47年)42歳
2月、カリフォルニア工科大学現代音楽シリーズ<エンカウンターズ>、テーマ作曲家。
3月、ジャン・クロード・マルゴワール(オーボエ)、ヴィンコ・グロボカール(トロンボーン)の独奏、ジルベール・アミとミシェル・タバクニク指揮、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏により、フランス国営放送(ORTF)委嘱作品《ジェモー》(第1楽章のみ)が、ロワイアン国際現代芸術フェスティヴァルで初演されるため、渡仏。演奏会直前に、フランスのラジオ放送局とオーケストラの組合との間で、2群のオーケストラのために作曲された作品を演奏する場合の演奏家の出演料をめぐって争議が起こり、演奏会がキャンセルされる。
12月、ヤニス・クセナキス、ベッツィー・ジョラス、モーリス・フルーレなど、フランスの音楽家たちとともに、インドネシアのジャワ島とバリ島へ旅行。

1973(昭和48年)43歳
5月、<ロンドン・ミュージック・ダイジェスト>シリーズ、テーマ作曲家。
同月、東京の西武劇場で毎年開催されることになった現代音楽祭<今日の音楽>の音楽監督に就任。
8月、小説『骨月−あるいは a honey moon』を私家版で出版。
10月30日、東京の国立劇場で、同劇場委嘱、雅楽《秋庭歌》が宮内庁式部職楽部により初演される。
ハーヴァード大学客員教授。

1975(昭和50年)45歳
1月、エール大学客員教授。同大学からサンフォード賞を受ける。
2月、トロントの<ニュー・ミュージック・コンサーツ>シリーズ、ゲスト作曲家。
3月、ルーカス・フォス指揮ブルックリン・フィルハーモニアの<ミート・ザ・モダン>シリーズ、ゲスト作曲家。
FM東京の番組『TDKオリジナル・コンサート』放送200回記念委嘱、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、オーケストラのための《カトレーン》により、芸術祭大賞受賞。

1976(昭和51年)46歳
2月、《カトレーン》が尾高賞受賞。
3月、トロントの<ニュー・ミュージック・コンサーツ>、ゲスト作曲家。
4月、中国人民対外友好協会の招きで、日本音楽家代表団の一員として中国を訪問。

1977(昭和52年)47歳
12月、ニューヨーク州立大学バッファロー校<現代音楽の夕べ>、テーマ作曲家。

1978(昭和53年)48歳
7月、ラ・ロシェルで開かれた<国際現代芸術の出会い>フェスティヴァル、国際現代音楽フルート・コンクール審査員。
9月、ワシントンのアメリカ音楽国際演奏コンクール審査員。
10月から12月にわたってパリで開催された<パリの秋>フェスティヴァルの特集「日本」のために、建築家の磯崎新とともに「日本の時空間<間>展」を企画。「日本の現代音楽と伝統音楽」シリーズの音楽監督として、18の演奏会を構成する。

1979(昭和54年)49歳
5月、東ドイツ芸術アカデミー名誉会員。

1980(昭和55年)50歳
3月、ヴァンクーヴァー現代音楽祭テーマ作曲家。カナダ国営放送(CBC)作曲コンクール審査員。
5月、映画のための音楽48曲を10枚組LPにまとめた自薦映画音楽集『武満 徹の映画音楽』が、日本ビクターより発売される。
6月、日本芸術院賞受賞。
8月、ネザーランド・ダンス・シアターの芸術監督イリ・キリアンのユーロヴィジョン放送プロジェクトの依頼を受け、オーストラリアのグルート・アイランドに滞在。

1981(昭和56年)51歳
1月、民音現代作曲音楽祭委嘱、ヴァイオリンとオーケストラのための《遠い呼び声の彼方へ!》が尾高賞受賞。
3月、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校客員教授。カルアーツ現代音楽祭、ゲスト作曲家。
9月、ドイツのDAAD招聘作曲家。ベルリン芸術週間<ジャパン・イン・ベルリン>、ゲスト作曲家。
11月、モービル音楽賞受賞。

1983(昭和58年)53歳
4月、トロントの<ニュー・ミュージック・コンサーツ>シリーズ、ゲスト作曲家。
同月から6月にかけて、ハーヴァード大学、ボストン大学、エール大学、コロラド大学などで講義。
6月から7月にかけて、ニューヨーク・フィルハーモニックの現代音楽祭<ホライゾン>、およびコロラド音楽祭、ゲスト作曲家。
9月、メシアン作曲コンクール(フランス)審査員。
11月、<国際現代音楽の出会い>フェスティヴァル(メッツ)の作曲家会議に出席。

1984(昭和59年)54歳
6月、オールドバラ音楽芸術祭の開始以来、はじめてのテーマ作曲家となる。
7月、アメリカ芸術文学アカデミー・インスティテュート名誉会員。

1985(昭和60年)55歳
1月、朝日賞受賞。
2月から3月にかけて開催された、バンフ・センターの<現代音楽の日々>、テーマ作曲家。
5月、フランス政府より、芸術文化勲章受章。同月、ポンティーノ音楽祭ゲスト作曲家。

1986(昭和61年)56歳
1月、メルボルン・サマー・ミュージック・フェスティヴァル、ゲスト作曲家。
2月、フランス芸術院名誉会員。
5月、デンマーク放送局、ゲスト作曲家。
6月から7月にかけて開催された、ロンドンのアルメイダ国際現代音楽祭、テーマ作曲家。
8月、タングルウッド・フェスティヴァル現代音楽祭、ゲスト作曲家。
10月、サントリーホール開設記念国際作曲委嘱シリーズ監修者に就任。
同月、イギリス国営放送テレビ(BBC2)が、特集番組『13 Steps around Toru Takemitsu』を製作・放送。

1987(昭和62年)57歳
2月、映画『乱』(監督黒沢明)の音楽により、ロサンゼルス映画批評家賞受賞。
5月、セント・ポール室内管弦楽団、ゲスト作曲家。
9月、グラスゴーのスコットランド現代音楽祭<ムジカ・ノーヴァ>、テーマ作曲家。
10月、メルボルン交響楽団、ゲスト作曲家。
11月、香港で開催された国際現代音楽協会−アジア作曲家連盟(ISCM-ACL)作曲コンクール審査員。

1988(昭和63年)58歳
4月、ダラスのサザン・メソジスト大学ヴォイセス・オヴ・チェンジ、テーマ作曲家。
7月、第1回ニューヨーク国際芸術フェスティヴァル芸術顧問委員。芸術監督としてジャパン・ソサエティーにおける4つの演奏会を企画。
9月、京都音楽賞大賞受賞。

1989(昭和64年・平成元年)59歳
9月から10月にかけて東京国際映画祭、インターナショナル・コンペティション審査員。
10月、日本文化デザイン会議賞国際文化デザイン大賞受賞。
同月、第1回飛騨古川音楽大賞受賞。
11月、ニューヨークのコロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センターとフリッツ・ライナー現代音楽センターが、<音の心象:武満 徹の音楽>と題し、講演会、演奏会、展覧会などの一連の催しを開催。

1990(平成2年)60歳
5月、ストックホルム・ニュー・ミュージック・フェスティヴァル、テーマ作曲家。
6月、リーズ大学名誉音楽博士。リーズ・フェスティヴァル、テーマ作曲家。
7月、ダラム大学名誉音楽博士。
同月、アヴィニヨン・フェスティヴァル/サントル・アカンテ、テーマ作曲家。
11月、ハダースフィールド現代音楽祭、テーマ作曲家。
12月、国際モーリス・ラヴェル賞受賞。

1991(平成3年)61歳
1月、シカゴ交響楽団創立100周年記念委嘱作品、オーケストラのための《ヴィジョンズ》をはじめとする一連の作品により、毎日芸術賞受賞。
同月、都民文化栄誉章受章。
5月、サントリー音楽賞受賞。
10月、ユネスコ/IMC音楽賞受賞。
同月から11月にかけて、イギリス各地で開催されたジャパン・フェスティヴァルの催しのひとつとして、ロンドンのバービカン・センターを中心におこなわれた<タケミツ・シグネチュア>の芸術監督を務める。
同月、リチャード・ストルツマンの独奏で、モーツァルトのクラリネット協奏曲、ブラームスのクラリネット五重奏曲、そして、BBCの委嘱でこの年の9月に初演された武満のクラリネットとオーケストラのための《ファンタズマ/カントス》を3つの演奏会で結ぶというプロジェクト「1791-1891-1991」が、ウィーンでおこなわれる。

1992(平成4年)62歳
4月、<シアトル・スプリング>、テーマ作曲家。引き続き、<ヴァンクーヴァー・ニュー・ミュージック>、ゲスト作曲家。
5月、1973年から毎年開催、音楽監督を務めていた現代音楽祭<今日の音楽>が、第20回を区切りに終了。
11月、ポーランドの国際現代音楽協会(ISCM)主催<20世紀音楽の巨匠>シリーズの第1回テーマ作曲家。ワルシャワで<タケミツ・デイズ>が開催される。

1993(平成5年)63歳
初めてのハリウッド映画『ライジング・サン』(監督フィリップ・カウフマン)のための音楽を作曲。
5月、武生国際音楽祭、テーマ作曲家。
6月、オールドバラ音楽芸術祭、テーマ作曲家。
9月、ベルリン・フェスティヴァル、ベルリン芸術週間のゲスト作曲家。
10月、国際交流基金賞(日本)受賞。
11月、ウィーン・モデルン、テーマ作曲家。
12月、国際現代音楽協会(ISCM)名誉会員。

1994(平成6年)64歳
1月、東京クヮルテット演奏のCD収録の《ア・ウェイ・ア・ローン》が、第36回グラミー賞最優秀現代作品部門にノミネートされる。
同月、イギリスの王立音楽院名誉会員。
3月、日本放送協会(NHK)放送文化賞受賞。
4月、映画音楽作曲家としての活動に焦点をあてたドキュメンタリー映画『Music for the Movies: Toru Takemitsu』(邦題『光と音の詩 武満 徹の映画音楽』、シャーロット・ズエーリン監督)が製作される。
5月、アジア作曲家連盟(ACL)名誉会員。
7月、札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティヴァル、テーマ作曲家。
10月、BBC委嘱、クラリネットとオーケストラのための《ファンタズマ/カントス》により、ルイヴィル大学グロマイヤー作曲賞受賞。

1995(平成7年)65歳
1月、リチャード・ストルツマン独奏、尾高忠明指揮BBCウェールズ交響楽団演奏のCD収録の《ファンタズマ/カントス》が、第37回グラミー賞最優秀現代作品部門にノミネートされる。
3月、第1回シュタード・シネミュージック・フェスティヴァル、テーマ作曲家。
同月、ロサンゼルスの映画音楽保存協会功労賞受賞。
11月、東京オペラシティ芸術監督。

1996(平成8年)
1月29日、オーレル・ニコレの70歳を祝して作曲した、フルートのための《エア》が、植村泰一により、スイスのバーゼル近郊で初演される。この曲が、武満 徹の最後の作品となった。
2月はじめ、入院先の病院で、グレン・グールド賞受賞の知らせを受ける。
2月20日、癌のため、東京で死去。享年65歳。

Toru Takemitsu - Biography

Toru Takemitsu was born in Tokyo on 8 October 1930. He began attending the Keika Junior High School in 1943 and resolved to become a composer at the age of 16. During the post-war years, he came into contact with Western music through radio broadcasts by the American occupying forces – not only jazz, but especially classical music by Debussy and Copland and even by Schoenberg. He made his debut at the age of 20 with a piano piece Lento in Due Movimenti. Although Takemitsu was essentially a self-taught composer, he nevertheless sought contact with outstanding teachers: Toshi Ichiyanagi acquainted the composer with the European avant-garde of Messiaen, Nono und Stockhausen, and Fumio Hayasaka introduced Takemitsu to the world of film music and forged contacts to the film director Akira Kurosawa for whom Takemitsu produced several scores to film plots. Alongside his musical studies, Takemitsu also took a great interest in other art forms including modern painting, theatre, film and literature (especially lyric poetry). His cultural-philosophical knowledge was acquired through a lively exchange of ideas with Yasuji Kiyose paired with his own personal experiences. In 1951, the group “Experimental Workshop” was co-founded by Takemitsu, other composers and representatives from a variety of artistic fields; this was a mixed media group whose avant-garde multimedia activities soon caused a sensation. Takemitsu taught composition at Yale University and received numerous invitations for visiting professorships from universities in the USA, Canada and Australia. He died in Tokyo on 20 February 1996. Peter Mussbach and the Berlin State Opera Unter den Linden commemorated Takemitsu in their staged project "My Way of Life” in 2004.

Takemitsu’s earliest works display influences of Arnold Schoenberg and Alban Berg, whereas the compositions of his second creative phase reflect his preoccupation with French Impressionism, particularly Debussy. The composer gained initial recognition at the end of the 1950s with his Requiem for strings (1957) which incorporates serial techniques. Takemitsu’s interest in a wide variety of artistic expressive forms and his individual sense of freedom developed through his autodidacticism shaped the character of his avant-garde style. As early as 1950, he utilised a tape recorder to create musical collages from “real” sounds ("musique concrète": Water Music, 1960; Kwaidan, 1964). In the early 1960s, two new elements appeared in Takemitsu’s works: on the one hand, traditional Japanese music (November Steps, 1967, for biwa, shakuhachi and orchestra) in the form of the deliberate juxtaposition of Eastern and Western musical culture and, on the other hand, the musical representation of natural phenomena (ARCI for orchestra, 1963-1966). Representations of the art of Japanese gardens through the utilisation of symbolic musical metaphors are frequently encountered in his compositions (A Flock Descends into the Pentagonal Garden for orchestra, 1977).

Although Takemitsu’s artistically most ambitious works are focused on the genres orchestral and chamber music, the composer also displays great interest in popular music including jazz, pop and French chansons. He composed around a hundred film scores (Dodes’ka-Den, 1996). His 12 Songs for Guitar (1977), containing passages with arrangements of world-famous pop classics (including songs by the Beatles), demonstrate Takemitsu’s affinity with the broader musical tastes generated by the hyper-cultural influences of a media-dominated world.

Takemitsu was the recipient of numerous awards and prizes including the Prix Italia, first prize at the Festival of Contemporary Music in Karuisawa (both in 1958), the German Consulate prize at the Tokyo Contemporary Music Festival (1960 and 1961), the major prize at the Japanese Art Festival (1966), the Otaka Prize (1976 and 1981) and the Los Angeles Film Critics Award (for the film “Ran”, 1987), the UNESCO-IMC Music Prize (1991), the Grawemeyer Award for Music Composition (1994) and the Glenn Gould Prize (1996). Takemitsu was composer-in-residence at the Canberra Festival of Musica Viva in Australia (1960), at the London Music Digest (1973) and the Evenings for New Music at the State University of New York in Buffalo (1977). In 1979, he was appointed as an honorary member of the Academy of Arts in the German Democratic Republic, a member of the American Academy of Arts and Letters in 1984, a member of the Ordre des arts et des letters in 1985 and in 1994 as a member of the Royal Academy of Music in London.