追悼 — 湯浅譲二
photo © Jun'ichi Ishizuka
作曲家の湯浅譲二が7月21日、東京で亡くなりました。94歳でした。戦後日本の現代音楽を牽引する一人として、同時代の最先端を走り続けてきました。電子音楽の制作をはじめ、常に自らの信念に基づき、音響への飽くなき探求を続けたその創作活動は、後進の作曲家や幅広い年代の奏者たちに大きな影響を与え続けています。
1929年8月12日、福島県郡山市に生まれる。ほぼ独学で作曲を学ぶ。慶応大学医学部進学コース在学中より音楽活動に興味を覚えるようになり、やがてジャンルの垣根を超えた前衛的芸術家グループ<実験工房>に参加、武満徹らと共に活動し、作曲に専念する(1952)。以来、オーケストラ、室内楽、合唱、劇場用音楽、インターメディア、電子音楽、コンピュータ音楽など、幅広い作曲分野で活躍した。
加えて、NHK大河ドラマ『元禄太平記』『徳川慶喜』、NHK連続テレビ小説『藍より青く』など、映画や放送のための音楽も数多く手掛けており、童謡《はしれちょうとっきゅう》のような広く一般に親しまれた作品も残している。
これまで彼の音楽は、ベルリン映画祭審査特別賞(1961)、1966年および67年のイタリア賞、サン・マルコ金獅子賞(1967)、尾高賞(1972、88、97、2003)、日本芸術祭大賞(1973、83)、飛騨古川音楽大賞(1995)、京都音楽賞大賞(1995)、サントリー音楽賞(1996)、芸術選奨文部大臣賞(1997)、紫綬褒章(1997)、恩賜賞(1999)、日本芸術院賞(1999)、日本アカデミー賞優秀音楽賞(2000)、旭日小綬章(2007)、文化功労賞(2014)など、数多くの賞を受けている。今年、2024年5月には、打楽器、ハープ、ピアノ、弦楽オーケストラのための《
ニューヨークのジャパン・ソサエティ(1968–69)をはじめ、実験音楽センターUCSDの招待作曲家(1976)、DAADのベルリン芸術家計画(1976–77)、シドニーのニュー・サウス・ウェールズ音楽院(1980)、トロント大学(1981)、フランス国立音響音楽研究所(IRCAM; 1987)など、国内外から数多くの給付招聘を受けた。また、ハワイにおける今世紀の芸術祭(1970)、トロントのニュー・ミュージック・コンサート(1980)、香港のアジア作曲家会議(1981)、ブリティッシュ・カウンシル主催の現代音楽巡回演奏会(1981)、ニュージーランドのアジア太平洋祭(1984)、アムステルダムの作曲家講習会(1984、87)、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会(1988)、レーケンボー音楽祭(1986、88)、パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル太平洋作曲家会議(1990)、東京オペラシティのコンポージアム2002、ルーマニア現代音楽祭(2009)、アンサンブル・モデルン・アカデミー(2009)、スタンフォード大学(2009)、サントリー芸術財団国際作曲委嘱シリーズ(1999-2011)などに、ゲスト作曲家、講師、審査員、監修者として参加した。
クーセヴィツキー音楽財団によるオーケストラ曲の委嘱をはじめ、ザールラント放送交響楽団、ヘルシンキ・フィルハーモニー交響楽団、NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、カナダ・カウンシル、サントリー音楽財団(現・サントリー芸術財団)、IRCAM、米国国立芸術基金などから、オーケストラ、室内楽、合唱、電子音楽など、多数の委嘱を受けた。1995年には第二次世界大戦終結50周年記念としてシュトゥットガルトの国際バッハアカデミーの委嘱による《和解のレクイエム》の〈レスポンソリウム〉を作曲、初演されている。
これまで、オーケストラを含む多くの作品が、ISCM世界音楽の日々(1971、74、78、79、81、83–86、91、93、95、2005、08)やワルシャワの秋(1969、76、78、81、84、86)、ホライゾン’84、ウルティマ音楽祭(95、05)、ヴェネツィア・ビエンナーレ(2005)などを通じて、広く世界で演奏されている。
1996年からは郡山市フロンティア大使を務め、市内の小学校の校歌を作曲したほか、2016年には市制施行90周年と合併50年を記念した交響曲《あれが阿多多羅山》を作曲。地域の音楽活動の活性化にも精力的に取り組んできた。
2007年には、郡山市立美術館で、同美術館の開館15周年を記念した展覧会、「湯浅譲二展」が開催され、湯浅による講演会や、作品の演奏会なども催された。
2017年、一柳慧と湯浅譲二に焦点を当てたサントリー芸術財団による「作曲家の個展 II 2017」が、サントリーホール大ホールで開催された。この時、委嘱作品《オーケストラのための「軌跡」》の作曲中に病に倒れ、初演は中止かと思われたが、リハビリにより回復、公演間際に書き上げられた冒頭部分のみ同公演で部分初演が行われた。
湯浅はその後も作曲の筆を止めることなく、2018年夏の現代音楽セミナー&フェスティバル「秋吉台の夏」で自身の創作についての講演も行うなど、アクティブに活動を続け、2019年には湯浅の90歳を記念して、電子音楽と室内楽に焦点を当てた公演も行われた。
その後も何度も入退院を繰り返しながら、湯浅は粘り強く作曲を続け、約5年を経て、2022年に《オーケストラのための「軌跡」》全曲が完成。2023年8月25日にサントリーホールで開催された「湯浅譲二 作曲家のポートレート—アンテグラルから軌跡へ—」において、杉山洋一と共に2017年に部分初演を行った東京都交響楽団が全曲版の世界初演も行った。この日、最後の尾高賞受賞作品となった《
1981年より94年まで、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校(UCSD)教授として、教育と研究の場でも活躍。日本大学芸術学部大学院客員教授、東京音楽大学客員教授、桐朋学園大学特任教授などを歴任。UCSD名誉教授、国際現代音楽協会(ISCM)名誉会員、郡山市名誉市民。
作品は、ショット・ミュージック(日)(Schott Music Co. Ltd.)、ペータース(C. F. Peters Musikverlag)、全音楽譜出版社、音楽之友社より出版されている。
湯浅譲二氏のご冥福を心よりお祈りします。