Home>ニュース

ニュース

RSS Twitter Facebook

ヴォルフガング・リームの死を悼む(Universal Edition)

2024年 8月 20日付

Wolfgang Rihm / ヴォルフガング・リーム

photo © Universal Edition / Eric Marinitsch

作曲家、ヴォルフガング・リームが7月27日、72歳で亡くなりました。戦後ドイツを代表する作曲家の一人として、これまでにオペラや管弦楽、そして室内楽に至るまで、あらゆる分野に数多くの作品を残し、その音楽は世界中の聴衆を魅了してきました。カールスルーエ音楽大学での教授職などを通じて、後進を育てることにも尽力しました。

日本では、武満徹監修によるサントリーホール国際作曲委嘱シリーズの中で、シリーズ2年目の1987年に取り上げられており、その注目度の高さが窺い知れます。60歳を迎えた2012年にはモノドラマ《猟区》の日本初演が行われ、2019年には室内オペラ《道、リュシール》日本初演が行われるなど、重要な作曲家の一人として、演奏会のプログラムにもしばしば取り上げられてきました。

ヴォルフガング・リーム氏のご冥福を心よりお祈りします。

ユニヴァーサル・エディションよりヴォルフガング・リームに追悼の意を表します。

ヴォルフガング・リームの死により、音楽界は傑出した作曲家を失っただけでなく、世界的な識者をも失いました。彼は才能ある若者を奨励すること、また文化政策に対して個人的な献身をすることに関心を寄せていました。

1952年カールスルーエ生まれのヴォルフガング・リームは、幼い頃から絵画、文学、音楽に親しんでいた。11歳で作曲を始め、まだ高校に在籍していた1968年から1972年までカールスルーエ音楽大学にてオイゲン・ヴェルナー・ヴェルテに師事。ここでアルノルト・シェーンベルクとアントン・ウェーベルンの音楽を集中的に学び、高校卒業と同時に作曲と音楽理論も修了した。1972年以降、ケルンにてカールハインツ・シュトックハウゼンのもと、さらなる研鑽を積み、1973年から1977年までフライブルク音楽大学にてクラウス・フーバーに作曲を、ハンス・ハインリヒ・エッゲブレヒトに音楽学を師事した。その後、カールスルーエ音楽大学及びミュンヘン音楽大学において、また1978年からは、彼自身1970年以降毎年参加してきたダルムシュタット夏季現代音楽講習会において彼自身の教育活動を展開した。1985年、リームは、かつての師であるオイゲン・ヴェルナー・ヴェルテが務めていたカールスルーエ音楽大学の作曲科教授職を引き継いだ。

ヴォルフガング・リームは、その類まれな才能を持って、50年以上にわたる現代の音楽史をともに築き上げ、常にイデオロギーに反抗し、時代の変容だけでなく、現代社会の緒問題を自身の創造プロセスに組み込んできた。

彼は、モダニズムの終焉にともなって70年代に生じた、最も切迫した表現上の問題に挑み、知的な誠実さと勇気をもって、合理的教条主義やポストモダンのシニシズムの幻影と戦った。たとえば、彼は、90年代から自身の指導に作曲家ルイジ・ノーノを取り入れるようになった最初の一人であった。また彼は、自身のすべての作品において表現と厳粛さのバランスを追求した。それは彼が真の芸術の最も奥深い核心を構築すると信じていたものだった。同時に、ヴォルフガング・リームの音楽は、常に音、リズム、和声の力に根ざし、明確な形式、それは時に大規模な構造をともなっていた。

22歳での躍進

ヴォルフガング・リームは1974年には一般の聴衆に知られるようになり、そのきっかけとなったのはドナウエッシンゲン音楽祭での彼の管弦楽作品《Morphonie - Sektor IV》の上演だった。若きリームは、1977年の室内オペラ《ヤコブ・レンツ》でもうひとつの画期的な成功を収め、ここからユニバーサル・エディションとのコラボレーションが始まった。

ヴォルフガング・リームの最も重要な作品として、オペラ《メキシコ征服》、《ハムレットマシーン》、《ディオニュソス》、《ヤコブ・レンツ》、《プロセルピナ》、《猟区》がある。管弦楽曲のレパートリーでは、《変身 1-6》、《近くと遠く 1-4》、《Transitus III》、《ピアノ協奏曲第2番》、《厳粛な歌》、《歌われし時》、《ライト・ゲーム》などが挙げられる。小編成のアンサンブルのための作品としては、《狩猟と形式》、《セラフィン=スフェーレ》、《Fetzen》、《Mnemosyne》などがある。

政治的な献身

400を越える数の膨大な音楽作品に加えて、彼は文化的・政治的献身を通して自身の名声を高めた。1982年にドイツ作曲家協会の、1984年にはドイツ音楽評議会の理事会、1985年にはハインリヒ・シュトローベル財団の運営委員会のメンバーとなり、1989年からはGEMA監査委員会のメンバーとなった。そして、1984年から1989年まで音楽雑誌『Melos』の共同編集者を務め、また、ベルリン・ドイツ・オペラ(1984~1990年)と、カールスルーエ・アート・アンド・メディアテクノロジー・センター(1990~1993年)の音楽アドバイザーとして活動した。

栄誉

リームはその音楽のキャリアにおいて、多くの栄誉に輝いている。例を挙げれば、1995年、ラインガウ音楽祭のコンポーザー・ポートレートが彼に捧げられ、また1998年には、ベルリン自由大学が彼の膨大な音楽作品と深い思考に彩られた音楽学的著述を讃えて名誉博士号を授与した。2001年、フランスの勲章である 「芸術文化勲章オフィシエ」を受章。2003年には名誉あるエルンスト・フォン・ジーメンス音楽賞、2010年にはヴェネチア・ビエンナーレにて彼のこれまでの功績に対して金獅子賞、2012年には「科学芸術勲章」(フランス)を授与された。2013/2014年シーズンにはシュターツカペレ・ドレスデンから「カペル・コンポーザー」に任命され、2013年には「芸術文化勲章コマンドール」(フランス)、2014年には詩と音楽のためのロベルト・シューマン賞を受賞。2015年、ザルツブルク州名誉勲章を授与された。2016年には、かつてピエール・ブーレーズが創設したルツェルン音楽祭アカデミーの芸術監督を任され、また「ベルギー王立科学・文学・芸術アカデミー」のメンバーに任命された。そして2022年[のザルツブルク音楽祭において]、70歳の誕生日に際して、マルクス・ヒンターホイザーから「ルビー付きフェスティバル・ピン」を授与された。

リームの同僚たちは、彼の類まれな音楽性だけでなく、とりわけその幅広い知識を高く評価していた。バーリント・アンドラーシュ・ヴァルガ曰く、リームは、その百科事典的な知識と、同じく百科事典的で、本質にすべてを含み込んだその創作の両方において、人並み外れた逸材なのです

ヴォルフガング・リームはヨーロッパにおいて最も演奏機会の多い現代作曲家の一人である。最近まで、彼はルツェルン音楽祭の企画立案に同アカデミーの芸術監督として携わり、また、次の2024/25シーズンには、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンポーザー・イン・レジデンスを務めることが決定していた。

類まれなる作曲家は7月27日の夜に72歳の生涯を閉じた。

ヴォルフガング・リームについて
アストリッド・コブランク、ユニバーサル・エディション取締役会長

ヴォルフガング・リームは無数の意味を含みもつ音楽作品の創り手として記憶されることでしょう。個人的には、この雄弁な博学者との、素晴らしくユーモラスな会話が特に印象に残っています。自らの属する人間というものに最後まで深い関心を示し、自身の模範的役割と文化的・政治的責任を常に自覚している人でした。ヴォルフガング・リームの死によって、ユニバーサル・エディションのみならず、現代音楽の世界全体が重要な人物を失いました。

Mourning for Wolfgang Rihm (universaledition.com)より翻訳)
[関連記事]
In memoriam Wolfgang Rihm - Universal Edition